コント:ポール君とグレッグ君(2009年第6弾)

いや、確かに今年は2人のブログでのピンポンが見たいと言ったけどさ…。
ここでもそう書いたけど、今回のもコントという平和なものでは最早無いわな。


ポール君
医療サービスはサクランボでもミルクでもパンでもないんだけどね。ジョージ・ウィルグレッグ君は、八百屋が政府抜きで市場原理に基づいてうまくやっているんだから、医療サービスもそうできるはずだ、と言っているわけだ。ところがどっこい、45年前のケネス・アローの記念碑的な論文以来、経済学者は標準的な競争市場が医療サービスではうまくいかないことを知っているんだが。逆選択モラルハザードといった問題が中核にあるので、誰も、繰り返すけれども誰も、自由市場原理で事足れりなんて思っちゃいない。今になって、どんぐり眼で無邪気にこの話を持ち出すとは、とてつもなく無知か、単に腹黒いかのどちらかだ。
グレッグ君
言っておくが、僕は極めて率直な男だ。ということは、僕はとてつもなく無知だということになるね。
ポール君は最近よくああいうことを言う。ちょっと前のブログエントリでは、現在のマクロ経済学について「経済学者の多くが捕らわれた“大いなる無知”に対して僕とブラッド・デロングは一種の共同戦線を張っているんだ」てなことを書いていたしね。
一体ポール君は何を考えてこういうブログエントリを上げているんだ? 僕なりに3つの理由を考えてみた。
  1. マクロ経済学のことについていえば、僕はポール君の見方を分かっていると思う。彼は1970年代にイェール大の学部生だったときにジェームズ・トービンとかから初めて習った昔ながらのケインズ経済学にどっぷり浸かっているんだ。トービンやMITの彼の先生だったボブ・ソローみたいに、ポール君は、現代のマクロ経済学は多くの点で不幸にも間違った方向に進んだと思っている。昔僕は、現代のマクロ経済学について論じた論文で、いかに多くのオールド・ケインジアンが現代経済学に知的に向き合おうとせずに、それをけなす方向に走ったかについて書いた。ポール君はまさにその伝統を踏襲している。
     
  2. 医療問題についても、ポール君の考えはお見通しさ。彼は単一支払保険制度が好きなんだ。だから公的保険の選択肢というのは、彼にとってその目的を実現するためのトロイの木馬なんだ。NYT記事で僕は「単一支払保険制度を理想とする人にとっては、納税者の積立金を背景に有利に展開する公的保険は魅力的な次善の策だ。補助金が十分に大きければ、時間が経つにつれより多くの消費者が乗り換えたいと思うだろう。」と書いたけど、この時僕が思い浮かべていた人々の一人がポール君さ(彼のこの昔のエントリを見てご覧)。
    ポール君は「標準的な競争市場が医療サービスではうまくいかない。逆選択モラルハザードといった問題が中核にあるので、誰も、繰り返すけれども誰も、自由市場原理で事足れりなんて思っちゃいない。」とか言ってるけど、僕に言わせればこれはまったく的外れな意見さ。オバマ政権は民間と完全に対等な立場で競争する公的保険を目指していると言っている(つまり、税金による補助金はなし、ということだ)。そうした政策が逆選択モラル・ハザードといった問題に対処することを示す何か適切な経済分析があったっけ? 僕の知る限り無いね。公的保険が財政的に独り立ちしてやっていかねばならないならば、そうした問題に対処するための特別な強みなんかありゃしない。
    いずれにしろ、我々にとっての選択肢は、政府経営の保険か、規制なき自由市場か、の二者択一というわけじゃあない。今の政策論争で最も魅力的な案は、ワイデン=ベネット案だ*1。これが真に党派を超える最善の医療改革案だと思う。今のところ、民主党の議会戦略を考えると、これが通る可能性はよく言ってとても低いけどね。
     
  3. 論調の問題について言うと、そこでもやはり僕はポール君の見方を理解していると思う。彼は世間で礼儀というものが重視されすぎていると思っているんだ。ブロゴスフィアと、そしておそらく公開討論一般において、知的ライバルを侮辱すれば自分の得点になると彼は思っているんだろうね。で、残念なことに、その点で彼は正しいんじゃないかと思う。

*1:マンキューはここでwikipediaによる説明デビッド・ブルックスのNYT記事CBOの書簡にリンクしている。ブルックスの記事によると、この案は、フリードマンが唱えたように、雇用者負担の非課税措置をやめて皆保険制度を導入しようとしているが、まさにその特長のために上院金融委員会で強い反対に遭ったとのこと。