20日のエントリでWCIブログコメント欄での小生とサムナーのやり取りについて書いたが、実はその後もやり取りを続けていた。どうも彼のケインズならびにクルーグマンの理解に納得できなかったので、小生がコメントを続けたのに対し、サムナーも根気良く応答してくれたので、そのピンポンが今に至るまで続いているという次第。
(当該エントリをポストしたNick Roweや管理者のStephen Gordonにとっては迷惑な話だと思うが…。サムナーのブログにも戦線を広げたこともあり、そろそろ終息させたいとは思っているのだが。)
残念ながらケインズ/クルーグマンに関する理解の差は今のところ埋まっていないが、その過程で日銀の政策に関するやり取りがあったので、参考までに紹介しておく。
サムナー、 June 27, 2009 at 04:30 PM *1
日本は平均して-1%のデフレだった。我々は平均して2%のインフレだった(3ポイント高いわけだ)。・・・私は日銀が2%のインフレ、もしくは4%の名目GDP成長を目標にすべきだと思う。
・・・
私は米国が日本にあれこれ指図することに反対している。だが、それだけが日本での出来事の説明になっているとは思わない:
- もし日本が円の増価を防いだだけだったとしても、そのことは、やがて、米国と(まったく同じでないにしても)似たようなインフレ率をもたらしたことだろう。しかし実際には、円は過去数年で大きく上昇した。日銀は少なくともそれは防げたはずだ。
- もしそれが説明になっているとしたら、流動性の罠は、日本の財政金融政策が解決すべき問題だったわけではなく、米国やその他の国が日本に課している現在の政策の必然的な結果ということになる。それは私が米国の1932年の流動性の罠について論じたことに非常に似ている。当時の米国の真の問題は金本位制だった。それは政治的問題、というわけだ。私の見解では、もう米国は80年代ほど日本のことを懸念しておらず、日本はもっと拡張的な政策をさしたる抵抗もなく進められたはずだ。
- もしそれが米国の政策だとしたら、それは馬鹿げている。というのは、我々の企業は強い円によって得た利益を、日本におけるデフレによる製造業の費用低下で失うからだ。これは、中央銀行が実質為替レートを長期的には設定できないという有名な例だ。
小生、 June 28, 2009 at 12:53 AM
私は、日銀は-1%のデフレをわざと目指していたわけではないと思います。むしろ、彼らはいつも景気の回復ポイントを早く判断しすぎたのだと思います。彼らが金利を引き上げた時、彼らの行動に関わらず、景気が回復して必要とされるインフレ率も達成されると毎回本気で信じていたのだと思います。ということで、彼らは悪意があったというよりも愚かだったのだと思います。
2003年に、財務省は日銀の金融政策にしびれを切らし、自ら行動に乗り出しました。財務省は為替市場に空前の規模の介入を実施しました。どのくらい大規模だったか? 通常、日本の資本収支は赤字なのですが、この年には資本収支は黒字でした*2。私がこのテーマについて書いたブログエントリの最初のグラフをご覧ください。
しかし、この行動は通貨の減価をもたらしませんでした。通貨が増価するのを防ぐので手一杯でした。ともあれ、この後に日本の景気は回復したと言われ、この介入を指揮した財務省官僚の溝口善兵衛は、日本のいわゆるリフレ派からは英雄視されています。
なぜ介入はその後も続かなかったのでしょうか? ジョン・テイラーは「テロマネーを封鎖せよ」で、彼とアラン・グリーンスパンがそこで手仕舞ってほしかったことを明かしています。その時点で日本はデフレから完全には脱却できていなかったのですが、彼らはそれで十分だと考えました。
サムナー、 June 28, 2009 at 10:27 AM
貴君の2003年の例にまさしく示されているように、日本はデフレに「捕われて」なぞいなかった。それは日本が通貨を減価させるつもりがあったか否かの問題だったのだ。彼らがそれに取り組んだ時、事態は少し良くなったが、実際にインフレをもたらすところまでは推し進めなかった。私に言わせれば、そこが重要なポイントだ。1994年以降の日本のGDPデフレータの一貫した下落は偶然などではない。日銀は金融経済学を理解していないか、約-1%のデフレを政策目標に置いているかのどちらかだ。注意すべきは、もし本当に物価安定を目標にしていて、3年間物価が1%ずつ低下したのならば、目標経路に戻るためには今度は3%のインフレを目標にするべき、という点だ。私には、15年の間GDPデフレータが低下し続けたにも関わらず、日銀がインフレを一切欲しなかったことは極めて明確に思える。従って、日銀が単に間違いを何回か犯しただけだ、という説明にはもう納得できない。また、仮にそうだったとすると、それは(クルーグマンが時々言うような)流動性の罠に「嵌った」ということではなく、間違いを繰り返し続けるというまったく別種の問題ということになる。