コント:ポール君とグレッグ君(2014年第5弾)

久々に両者のブログの間でキャッチボールが成立した。

ポール君
グレッグ君がまた上位0.1%擁護論説を書いたけど、ちょっと驚くべきものだね。ただ、その驚くべき本筋に入る前に、グレッグ君が冒頭で挙げた映画俳優について一言。確かに、一握りのスターが大金を稼いでいるけど、こちらの論文で示されているように、それは全体から見ればほんの一部分に過ぎない。所得分布の上位層の圧倒的多数は、何かしらの役員が占めている――企業、金融、不動産、そしてペリー・メイスンよりは間違いなく企業タイプの弁護士。そして、メディアを賑わせているトップスターたちでさえ、ここでは主役ではない。収入トップ40のヘッジファンドマネージャーやトレーダーは、2012年に平均して一人当たり4億ドル以上稼いでいる。
ということで、グレッグ君の論説の驚くべき部分。グレッグ君は米国の格差に金融関係者の富が果たしている大きな役割を引き合いに出した際に、その所得は相応だと言うんだ:

莫大な報酬がそこかしこに見られる金融業界も(アップルのスティーブ・ジョブスのケースと)同様だ。この業界が経済的に極めて重要な役割を果たしていることは疑いない。銀行やベンチャーキャピタルや他の金融機関に勤める人々は、経済の投資への資源割り当てに責任を持っている。彼らは、非集権化された競争的なやり方で、どの企業や業界が縮小するか、あるいは成長するか、を決める。国内で最も才能ある人々、そしてそれ故に多額の報酬を受け取る人々がその仕事に割り当てられる、というのは納得の行く話だ。

 
グレッグ君は2006年以降洞穴にでも住んでいたのかな? ウォール街の行き過ぎのせいでもたらされた不況も今や7年目だ。「経済の投資への資源割り当て」という魔法使いの仕事の多くは、資金を不動産バブルに注ぎ込んだり、健全で安全な投資という幻想を作り出す洒落た金融工学を使うことから成り立っていたことを今の我々は知っている。また、特にヘッジファンドについては、実は投資家の価値を毀損していたのではないか、という現実的な問題が存在することも我々は知っている。

あと一点。グレッグ君は我々の税制は公平だ、何とならば上位0.1%は中流階級より所得の高い割合を連邦税として支払っているのだから、と主張する。これは、そうした累進性が州・地方税の逆進性によって部分的に相殺されていることを無視している。それはともかく、彼が言いたいことは、上位0.1%が支払っている税が高い(歴史的に見れば実はそうではないのだが)のは、2012年の選挙でミット・ロムニーが負け、そのせいでオバマのブッシュ減税の部分的撤廃ならびに高所得者の追加保険料――一部が医療改革の原資に回った――がそのまま継続し、ライアンの財政案が実現しなかったことが主因、ということだ。自分と仲間たちが必死になって葬ろうとした政策のお蔭で我々の社会システムが公平なものとなっている、と主張するのは面白いと言えば面白い。

いずれにせよ、ウルフ・オブ・ウォールストリートはアイアンマンというよりはゴードン・ゲッコーだった。極端な格差の正当性を訴える最善の議論が彼らを持ち出すことならば、優れた議論とは言い難いね。
グレッグ君
僕の最近の論説を読んで、過去数年の金融危機を僕がどういうわけか見過ごしたのではないか、とポール君が不思議がっている。彼はウォール街の大立者たちが相応分をかなり上回る金額を稼いでいたことが危機によって証明された、と考えているみたいだね。
金融部門の社会的価値を測るのは難しいということは僕が真っ先に認める。ただ、何点か言っておきたい:
  1. 金融システムで働く人の社会的価値を考える際は、短期の変動だけでなく長期の成長も念頭に置く必要がある。金融仲介機能は成長で重要な役割を果たす。人々の厚生においては成長が変動を凌駕する、ということは主張可能だ(最も有名なところでは、ロバート・ルーカスがそう主張した)。
  2. ウォール街金融危機の全責任を負わせるのは安易に過ぎる。僕の中級マクロ教科書の最新版では、危機の責任の所在に関するケーススタディを載せている。結論は、犯人は一人ではなく、大勢に責任がある、というものだ。
  3. 富裕層が危機を楽に切り抜けたと考えるのは間違いだ。サエズ=ピケティのデータによると、2007年から2009年の不況期において、平均所得は17%低下したが、上位1%の所得は36%低下した。ディック・ファルドとかハンク・グリーンバーグといった危機の台風の目となったウォール街の大物は、純資産の90%を失ったと伝えられている。確かに彼らは普通の人々より元々の資産がかなり多かっただろうが、銀行家が無傷で切り抜けたと言い募るのはやめにしようじゃないか。