日本人とプロジェクト・補足

昨日のエントリにkmoriさんから、一昨日のエントリにHicksianさんからTBを頂いた。ありがたいことである。kmoriさんからは「なお、id:himaginaryさんのダイアリーにはこれ以外にも面白い記事がたくさんある。是非通読されることをおすすめする。」という過分な言葉まで頂いた。また、HicksianさんのTBエントリにより、自尊心など利益以外を効用に加えた数学的モデルの研究は小生の想像以上に進んでいることを知り、そうしたモデルは難しいだろうという一昨日のエントリの記述は自分の思い込みに基づいていたことに気づいた。汗顔の至りである。


kmoriさんの指摘通り、昨日のエントリは印象論に過ぎない。これまでは割と経済学に則ったエントリを続けてきたが、なぜ昨日はこのようなごく個人的な感想文を載せたかと言うと、…単なるネタ切れです、すみません(7月の開設以来、過去の勉強会の資料をアップするなどして一応毎日エントリを続けてきたが、いよいよ手持ちの弾が無くなった)。


感想文ついでに、もう少し補足してみる。

昨日書いた話と相通じると思うのが、このブログエントリで紹介されている野口悠紀雄氏のコラム。野口氏の経済学については批判があるし、個人的にも「?」と思うことがしばしばだが*1、このコラムを含め、経済学以外の論考については頷かされることが多い。
このコラムと昨日のエントリがどこでどう相通じるのか、以下に順を追って説明してみる。


小生が仕事(コンピュータ関係です)をしていて感じるのは、ドキュメンテーションをしない人が実に多い、ということ。そういう人たちは、仕事の引継ぎや説明も口承に頼ろうとする。また、そういう人たちは、こちらがきちんとドキュメントを作成して渡しても読まない。そうした“暗黙知至上主義”が社内に留まっているなら良いが、往々にして彼らは顧客向けのドキュメントでも書くべきことをきちんと書かない。


それに対し、海外の商品はドキュメントが比較的きっちりしている。良く言われるのが、米国人はいろんな文化の人たちが集まっているので、日本人なら以心伝心で伝わるところをきっちりと明文化する必要がある、ということだが、おそらくそれは当たっているのだろう。だから、いろんな人たちが使うシステムを作る側は、野口氏が指摘するように、きちんとドキュメントを作成し、マニュアル化するわけだ。しかし、だからと言ってサービスが優れているわけではなく、サービス自体の品質は国内ものに劣る場合が多い。きちんとしたドキュメントとシステムがあっても、これまた野口氏が指摘するように、現場は事務処理能力の低い人やいい加減な人が多いので、それをうまく使えない、もしくは入力の精度がそもそも悪い。結果としてアウトプットたるサービスの品質が上がらない(=GIGO)。


一方、日本では、貧弱なドキュメントとシステムでも、現場が何とかそれを使いこなしてしまい、かつ、入力の精度も高い。その結果、サービスは比較的信頼できるものになるわけだ。

だが、そうした品質が保たれるのも、ある程度の少数精鋭でやっているうちのこと(その究極がここで紹介されている宇宙研方式だろう)。仕事の規模が大きくなると、どうしてもそれに関わる人材の質の平均は、大数の法則により世の中の平均に近づいていく――つまり下がっていく。その半面、仕事の中身は複雑化していく。そうなると、現場力の違いによるアウトプットの品質の差は小さくなり、ドキュメンテーションやシステムといった仕組みの面での重要性が高まる。大人数で情報を共有するには口頭で了解を重ねるよりも文書化した方が早くて誤解の余地が少ないし、システムはなるべく人に複雑な処理をさせないように自動化した方がミスも減り効率が上がる。結局、一定以上の規模になると、宇宙研方式ではNASA方式に適わなくなる。換言すれば、昨日エントリに書いたとおり、ビッグプロジェクトでは日本人は米国人に適わない、ということになる。


では、野口氏の提言するように、現場力の高い人をシステム作りに回せば良いのか? 残念ながら、それがそうでないところが世の中の哀しいところであり、面白いところでもある。個人的な経験から言うと、そういう人たちは自分の現場力に価値を置くため、システム化や自動化を嫌う傾向にある。昔、自動掃除機が世の中に出回るようになった時、箒を使わないのは良くない、と年寄りの主婦が若い主婦を非難したというが、それに似た話は世の中にいくらでもある。また、先述のように、彼らはマニュアル作りやドキュメントによる意思や知識の伝達も軽視する。
彼らの現場力をシステムやマニュアル作りに生かすには、彼ら自身にシステムを作らせるのではなく、その現場力を理解しシステム作りに吸収させる能力が必要になる。その能力は、実は、怠惰など現場力とはまったく逆のものだったりするのである。

*1:ただし、このエントリで取り上げた指摘については、当初そんなことはないだろう、と思い、ノグラボフォーラムでも批判的なことを書いたのだが、改めて考えてみると正しいことがわかった。それについては素直に野口氏に頭を下げる。ただ、そのスレッドの最初に書いた論点の後半部については今も有効だと思う。