日本人とプロジェクト

今日は8年前に書いた雑文をアップする。これまで基本的に経済学に関するエントリを続けてきたが、これはより一般的な社会評論に属する文である(今読み返してみると、当時の仕事上の不満が微妙に反映されているようだ)。
内容的には、池田信夫氏が批判してやまない日の丸プロジェクトの問題がテーマになっている。主旨が通俗的という批判は甘んじて受けるが、ただ、このテーマは、14日のエントリ(optical_frogさん、はてなスターありがとうございました)で挙げた産業政策の属人性の問題と相通ずる*1。さらに言えば、イースタリーの言うPlanner vs Searcherの問題にも通底すると思う。


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 一般に日本人はプロジェクトを進めるのが下手なのではないだろうか。現実的になるべきところで実現不可能な理想論をぶち、原則論を貫き通すべきところで感情論に走る。そういった弊害は、日本人がある程度大きなプロジェクトを進める時には随所に顔を出してしまう。最大の失敗例が言うまでもなくあの太平洋戦争であろう。インパール作戦が典型例であるが、冷静に成算を見極めて実行するのではなく、「あいつが言うのだから」といった目の前の情実関係に流されて実行を決めてしまう、そういった作戦の繰り返しであった。竹槍を持ち出し精神主義だけに頼った最後の本土決戦計画に至っては、何をか言わんや、である。また、軍上層部の人事も、能力よりは年功序列や情実に支配されることが多かったと聞く。残念ながらこれらの欠点は、すべてそのまま今でもあちこちの事例に通じる話である。
 それに対し、アメリカはロスアラモス計画やアポロ計画など、ビッグプロジェクトの遂行に関しては凄みと言えるほどの強みを発揮する。日本人と比べた場合の長所は、一つには、個々人の責任範囲が明確であること、もう一つは、人間の弱さまで組み入れて体制を構築することである。第一の点は、皆で決めたのだから…とともすれば責任が分散しがちな日本とは対照的である。第二点は、最後はガンバリズムといった精神主義に頼りがちな日本では希薄な発想である。精神主義は美しいが、誰にでも通用する話ではない。結局は特定の人間に過大な負担がかかり、その人如何でプロジェクトの成否が決まるという結果に陥る。もちろんどのプロジェクトでもそうなる傾向はあるのだが、その人間を予め特定し、責任とともに大きな権限を与えておくというのが米国の発想である。もしその人間の働きが期待以下であれば、能力を発揮した人間に替えれば良い。それに対し、日本で良く見られるような主に人間関係で決まったプロジェクト推進体制では、能力や意識と責任範囲との連関が乏しくなり、プロジェクトのキーマンとなるべき人間に十分な権限が与えられず、そのことがより一層その人間の負担を高める。
 これらの点は、目の前の人間関係を優先しがちな日本と、ドライと言われる米国人の精神構造の違いを良く反映している。断っておくが、筆者は、一部の論者のように米国のドライな人間関係を一方的に称賛し、日本のウエットな人間関係を徒にけなす考えには与しない。両者にはそれぞれ長所もあれば欠点もある。ただ、ことプロジェクトの遂行という話に限れば、後者の欠点が出てしまうのは否めない事実である。
 およそ日本ではAll Japanの意識が高いプロジェクトほど上述のような欠陥を露呈する確率が高いように思われる。もちろん、最近のNHKプロジェクトXなる番組で取り上げられた青函トンネルや新幹線のように、成功裡に終了したプロジェクトもある。しかし、それらのプロジェクトも、仔細に見れば上で指摘した欠点が観察されるはずである。太平洋戦争はAll Japanプロジェクトの最たるものであった。All Japanの意識に囚われるあまり、失敗を恐れ、考え方が硬直的になり、前例主義に走り、官僚意識がはびこり、柔軟な考えを排してしまうのが一つの特徴と言えよう。プロジェクトではないが、日本の伝統芸能の多くが、その発祥においては革新的なものであったにも関わらず、伝統という看板を背負った途端に硬直化してしまったのと通底する現象と思われる。最近の例で言えば、かつては名選手として観客を瞠目させたはずのスポーツ委員会の人々が、旧弊を代表するがごとく目されるような言動を行うに至ったのも同様な例であろう。
 以上では、日本人がプロジェクト推進などで、大きなチーム、なかんずくAll Japanのチームとして行動するときの欠点を指摘した。では、日本人が強みを発揮する点とはどういった時であろうか?
 私見によれば、ある分野において巨人とも言うべき異能の人を産み出すことにかけて、日本は世界のどの国にも引けを取らないと考える。近年の例を取っても、漫画界の手塚治虫、アニメ界の宮崎駿、映画界の黒澤明などはその代表例であろう。あるいは科学界において、青色LEDを四国の片隅で一人で開発した中村修二氏なども記憶に新しい。いずれも一人で一つの分野を確立し、なおかつそれを世界に通用させるほどの力を持った人たちである。翻ってみれば、いわゆる日本の伝統芸能なるものの多くも、当初はそうした異能の人たちが創り上げたものであった。そうした人たちは当時の政治・文化の中心からは離れた周縁に身を置き、独力で素晴らしい文化を産み出すケースが多かったように思われる。ただ、そうした素晴らしい独創性も、後継者の手に渡ってひとたび中心の地位を得てしまうと、たちまち生気を失い、伝統のたがをはめられ、硬直化してしまう残念な傾向が見られるのは上で指摘した通りである。これは、前の者を乗り越えようとした努力の積み重ねがかえって一つの大きな伝統の流れを産み出したヨーロッパのクラシック音楽などとは対照的である。
 また、個人と言わないでも、小人数のチームでの働きがしばしば大きな成果を産み出すのは日本人の良く知られた特長である。産業界においても、大企業よりはむしろ中小企業に先端技術の粋が存していることは良く知られた事実である。小人数のチームにおいては、先ほど指摘した日本人のウエットな関係が短所として発現するよりもむしろ潤滑油のように長所として働き、優れたチームワークを生み出すことにつながるのであろう。このことは、最近の方向感覚を喪失気味の日本人にとって、一つの道標になるのではないか。

*1:言うまでも無く、その問題を深堀りしていくならば、従来の経済学の枠内を飛び出して、社会学や組織論を論じる必要はどうしても出てくる。