冬なのにサマーズ

って、タイトルにさまぁ〜ずネタを使うのもそろそろマンネリか。

ということで、サマーズのワシントンポスト記事を訳されたHicksianさんからTBを頂いた*1。そもそもは、稲葉さんのブックマークでHicksianさんと小生に令状が出されたとの由。それを言うならokemosさんが最適任者だったろう、という気もするが、彼は今、アセモグルプロジェクトで忙殺されているので免除、ということか。


このサマーズ記事は、マンキューブログEconomist's Viewデロングブログでも紹介済みだが、マンキューもMark Thomaもデロングも特に論評を加えていない。確かに、こう言っては何だが、これまで本ブログで紹介してきた彼の言説(ここここここ)に比べ、格別目新しいことを言っているようには見えない(…身も蓋も無いコメントで申し訳ないが)。

もう少し具体的な数字やプランを出してくれたら分かりやすいのに、と思うが、それは財務長官や行政管理予算局(OMB)長官の仕事ということになるのだろう。一方、もう少し経済分析的な話をしてくれたら、とも思うが、そちらはCEAの仕事ということになるのだろうか。結果として、いわば総花的な論説になったのも致し方ないのかもしれない。
そういえば、以前、マンキューが、サマーズがNEC委員長になったことによりオバマ政権下ではCEAとNECの役割が被るのではないか、と心配していたことがあったが、傲慢さで知られるサマーズも、少しはそうした役割分担=縄張りに気を使っているのだろうか? 明らかにサマーズは年齢的にも(そしてステータス的にも)他の人々より上なので、もし彼がそうした気を使わなかったら、オバマ政権の経済政策の指揮系統は滅茶苦茶になってしまうだろう。彼もクリントン政権内でそれなりに年季を積んでいるので、クルーグマンやサックスやスティグリッツのようなお子ちゃま達とは違い、その辺はさすがに心得ているのかもしれない。


一方、EconLogのアーノルド・クリングは、サマーズの社会的投資収益率のくだりに敏感に反応し、これではジョン・ガルブレイス政策だ、と批判している。また、今から公共投資をしても不況が終わる頃に大部分が施行されることになるだろう、という点と、出口戦略が無い、という点も批判している。彼は対案として、雇用税の減税を提案している。


小生が気づいたサマーズ記事への反応はこれくらいなので、あとは、関連する話題として、財政刺激策全般への懐疑論(ないしそれを巡る議論)を紹介しておく。


一つは、マンキューブログの26日エントリ。NYU教授のDavid Backusという人がマンキューに寄せたという懐疑論5点が紹介されている。その5点とは、

  1. 実行が難しい
    • 大量のおカネを、社会に有益なところに、碌でもない政治家が出る幕が無いように支出するのは難しい。
  2. タイミングが悪い
    • 景気が回復すると思われる2009年後半から2010年に財政刺激効果が発揮されることになり、逆循環の効果になってしまう。(=上述のクリングと同じ指摘)
  3. 乗数効果が小さい
  4. 長期政府債務の問題
    • 年金と社会保険の問題もあるのに、さらに債務が付け加わってしまう。
  5. 問題は金融システムなんだよ、馬鹿者
    • 日本と違い、我々は素早く対処しているので、楽観的になってもよいのでは。

という割と標準的なものである。ただ、日本の例を引いている5項目目については、以下の留保条件的な一文を添えているのが面白い。

Japan in the 1990s is a Rorshach test for macroeconomists, so I can't claim everyone sees this as I do.

90年代の日本はマクロ経済学者にとってのロールシャッハテスト、というのは、言い得て妙という気がする。でもそうすると、その原因解明は大恐慌と同じく聖杯探求レベルの困難なもの、ということになるのだろうか。


また、マンキューと並んで代表的な懐疑論者であるタイラー・コーエンは、相変わらず財政刺激策への疑問を連綿とブログに綴っている。その中でも、特に以下の一節は、事実上クルーグマンが以前述べたことと同じことを言っている点で興味深い。

Maybe a big enough push to aggregate demand could stimulate useful, productive employment (as opposed to merely boosting measured gdp) right now, but since the U.S. savings rate must rise sooner or later, that would only mean a steeper decline for aggregate demand some time in the future.

More niggling on fiscal stimulus - Marginal REVOLUTION

Cf.) クルーグマン(1999)

この伝統的な構図では、赤字国債を出して財政出動すれば、EE をたとえば E'E' まであげて、経済を拡大することができる。でも、もしこの赤字が維持不可能なら、これは一時的な解決にしかならない。いずれこの財政からの刺激策は減らさなくてはならないので、グラフはまた EE に戻ってくるだけだ。経済はすぐに停滞に戻る(これは 1996 年の橋本政権下での景気腰折れ騒ぎの簡単な説明だと思ってくれてもいい)。

TIME ON THE CROSS: CAN FISCAL STIMULUS SAVE JAPAN? (Japanese)


こうした財政刺激への懐疑論を受け、クルーグマンは、流動性の罠の下での財政刺激論の叩き台として、簡単なニューケインジアンモデルを公開した。小生にはこのモデルを完全に咀嚼する能力は無いが、ただ、以下の仮定が引っ掛かった。

Now, the way we typically do policy experiments in this model is to assume that from period 2 onwards everything is in a steady state – constant M, s constant, G constant.

2期以降は政府支出が一定と仮定しているということは、このモデルでは、上記のコーエンの疑問(=自らの10年前の問い掛け)に答えることはできないようだ。
もっとも、元々クルーグマンはそちらの疑問に答えるのが目的ではなく、コーエンのこちらの疑問――余暇を20,000ドルで評価する人に40,000ドルの仕事を与えて20,000ドルの市場価格の産出が行なわれた場合、GDPは40,000ドル増えるが、社会の効用はプラスマイナス0(産出の効用−余暇減少の不効用=0)になるという設問例――に答えるのが目的だったような感じを受ける。モデルから導き出されるクルーグマンの回答は以下の通り。

But even at full employment, in these models, the disutility from an additional hour of work is less than the utility added by the extra consumption this work makes possible, and if the economy is depressed the gap is larger.

つまり、コーエンの設問例のような事態は発生しない、ということらしい。


最後に、財政刺激策そのものへの疑問ではなく、フェルドシュタインが唱える財政刺激策としての軍拡論への疑問を紹介しておく。Economist's View経由だが、経済学者の論説ではなく、Stan Collenderというワシントンの関係者(経歴からすると、要はロビイストか?)が書いたブログエントリである。
そのエントリでCollender氏は、軍事予算が削減されそうだ、というフェルドシュタインの認識の誤りを指摘したほか、軍事予算のうち人員予算は一度増やすとそれがほぼ恒久化するし、兵器調達は必然的に複数年にまたがる予算になるので、いずれも財政刺激策としては馴染まない、という指摘を行なっている。
そして、エントリの最後では、軍事支出はそれ以外の公共支出に比べ投資効果が劣る――余分な戦車やミサイルは作ったらそれまでだが、建物や橋や道路や下水道や情報ハイウェイは人々に便益を提供し続けるから――と社民党顔負けの議論を展開している。
穿った見方をすると、これは、軍事予算を増やさない、という次期民主党政権の意を体しているのかもしれない。


以上、サマーズ記事を枕に、財政刺激を巡る議論の状況を紹介してみた(少しまとまりがなくなったのはご勘弁)。


それでは良いお年を。

*1:Hicksianさんからはその後、自動TBなので特に気にしなくて良いというコメントを頂いたが、財政刺激策の議論は米国でまだ続いているので、そろそろまたその辺りを取り上げようかな、と思っていた矢先のちょうど良いタイミングだった。