いかにしてハーバードはロシアを失ったか

8/30エントリの脚注で触れた“HOW HARVARD LOST RUSSIA”(Institutional Investor Magazine, January 2006)を少し詳しく紹介してみる(同エントリの本文で紹介した“Wolfensohn agonistes”と同じくInstitutional Investor(II)誌の記事だが、なぜかこの記事はpdfが出回っている)。

シュライファーのスキャンダルを扱った記事は数多あるが*1、今のところこれがもっとも良くまとまっているようだ。
まずは冒頭部の拙訳。

2001年にハーバード大学長に就任して以来、ローレンス・サマーズ元財務長官は新聞の見出しを飾る数々の論議を引き起こしてきた。良く論議の的となる宗教学教授コーネル・ウエストの業績を過小評価した時、サマーズはアフリカ系米国人の怒りを買った(ウエストはプリンストン大に移籍した)。去年はマサチューセッツでの経済学の会議で女性の生まれつきの科学的素質を軽んじるような発言をして大学と学生双方を怒らせ、全国的な騒動によりもう少しで職を追われるところだった*2。去年の秋は、大学の寄付金を監督するハーバード・マネージメント・カンパニーのトップであるジャック・メイヤーが辞任したが、それは何百万ドルもの報酬を何人かのマネージャに支払って学内の顰蹙を買った後だった。


そして、上記とは対照的にそれほど騒ぎにはなっていないが、経済学部教授アンドレイ・シュライファーの一件がある。彼は1990年代半ばにハーバードの対ロシア助言プログラムを率いたが、そのプログラムは不名誉な結末を迎えた。8月、何年にもわたった訴訟の末、ハーバード、シュライファーとその仲間は、米国政府の起こした裁判を3,100万ドルを支払って決着することに合意した。ハーバードは契約違反、シュライファーとその同僚ジョナサン・ヘイは米国政府への不正行為の共同謀議の罪が問われた。


シュライファーは大学に留まり、高い地位にある*3。同僚は、それは彼がサマーズの長年の友人かつ協力者だったためだと言う。


以下では、ハーバード大卒業生で調査ジャーナリストのデビッド・マクリンティックが、大学のロシアのプロジェクトでのシュライファーの役割と、サマーズとの友人関係が米国随一の学術機関で起きた瓦解からいかに彼を守ったかを明らかにする。

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休暇を取った師と弟子は、水着でトルーロの浜辺を散歩していた。過去何年もの間、マサチュ−セッツのこの有名なケープ・コッドの岸辺で、彼らは家族ぐるみの夏休みを過ごしていた。公私にわたって親しい二人は、家族や家計に関する非常に個人的な事柄もお互いに打ち明ける仲だった。この日の話題は旧ソ連だった。


「気をつけたほうがいいぞ」と師、ローレンス・サマーズは、弟子のアンドレイ・シュライファーに警告した。「ロシアは汚職まみれだからな」


時は1996年の8月終わり。42歳のサマーズは米国財務副長官の座にあった。35歳のシュライファーは、15年前シュライファーを初めて門下に置いた時のサマーズと同様、ハーバード大学経済学部の期待の新星だった。


サマーズの警告は、世界的に重要な変革における彼らの役割の大きさに鑑みて発せられたものだった−−その変革とは、ロシア経済を共産主義の灰燼から引きずり出して期待に満ちた西側の資本主義に移行させる試みである。サマーズは、財務省のナンバー2として、米国のロシア援助の総設計者というべき立場にあった。シュライファーの関与はより直接的だった。モスクワに頻繁に飛び、有名なハーバード国際開発研究所(HIID)の看板のもと、改革の鍵となる部分を指揮していた。


米国との契約に基づき、HIIDは、民営化、および資本市場や法律とその執行機関の創設についてロシア政府に助言を行なっていた。シュライファーはサマーズの配下というよりは、米国の海外援助の尖兵である国務省の国際開発庁(AID)の配下にあった。


公的な立場からの懸念だけでなく、個人としての心配も、サマーズの忠告の背景にあった。シュライファーと、彼の妻であり有名なヘッジファンドマネージャーでもあるナンシー・ツィンマーマンがロシアに投資していることを彼は知っていた。詳細は把握していなかったものの、利害の衝突に関する数々の規制に夫婦が抵触しかねないと恐れるには十分だった。


サマーズは警告の相手をシュライファーだけに留めなかった。


「スキャンダルになって吊るし上げを食うかもしれない」サマーズはツィンマーマンに伝えた。「誰ともやましい関係はないことをはっきりさせておいた方がいい。いつかアンドレイが問題にされるかもしれない。世間はうるさいからな。」


サマーズの警告は後に予言として正しいことが証明されたが、それは同時に効果が無かったことを意味していた。シュライファーと彼の妻は友を安心させようと躍起になったが、その間もロシアで最初に公的に認められた投信会社への投資を画策していた。8ヵ月後、彼ら、および彼らの親しい同僚や親族のロシアでの個人的な取引は、スキャンダルとして暴露され、彼ら、ハーバード大学、そして米国政府の名誉を傷つけることになる。司法省は、FBIとボストンの連邦検察局を動員して強制捜査を行い、不正行為やマネーロンダリングの証拠だけでなく、米国の資金をテニスの講習からハーバードの職員とその妻、ガールフレンド、ロシア人の仲間との良く分からない休暇費用にまで無頓着に流用していたことを明らかにした。つまるところ、「ベスト・アンド・ブライテスト」という自負心からくる傲岸さが、ハーバード人として本来拠って立つべき法や規則を踏みにじったとんでもない例であることが明らかになったのである。


当時ロシアを頻繁に訪れていたある銀行家は言う。「ハーバードの連中は自分自身を傷つけ、ハーバードを傷つけ、米国政府を傷つけたのだ」


最も傷ついたのは、ロシア、ならびに、安定した西側のような資本主義の枠組みを確立したいというその願いだった。それはサマーズ自身が2002年にケンブリッジの法廷での宣誓証言で認めている。「そのプロジェクトには非常に価値があった」と、既にハーバード大の学長になっていたサマーズは述べている。「その中断は、ロシアの経済改革、そして米露関係を損なった」


ロシアを立て直すのは容易な仕事ではないが、ハーバードはその歴史的なチャンスを潰した。ロシアの法体系を改革するのは援助計画の主な目的の一つだったが、その失敗は法の空白を今に至るまで残し、今日も経済や金融の問題に対処することを妨げている。


ハーバードは必死にロシアでの活動を弁護したが、2004年、長引いた法律論争の末、ボストンの連邦地方裁判所判事は、ハーバード大が米国政府との契約を破ったこと、および、米国政府を騙した共同謀議にシュライファーとその同僚が責任があるという判断を下した。昨年(訳注:2005年)8月、サマーズとその弟子がトルーノの海岸を散歩してから9年後、ハーバード、シュライファーとその同僚は、政府に3,100万ドル強を支払って和解することに同意した。シュライファーとツィンマーマンは、彼らの支払い分を担保するため、家を抵当に入れることを余儀なくされた。


確かに、ロシアの今日の苦境はハーバードの失敗やシュライファーの不祥事だけから生じたわけではない。原因は他にも多々ある。かつて地表の六分の一を占め、150の民族と11の時間帯を擁していた広大で謎めいた国の経済と法の文化、および前近代性を変革する試みの困難さを過大評価するのは難しい。それに比べれば、マーシャルプランなど簡単に見えてくる。


シュライファーのモスクワでの任務が崩壊した時、サマーズはまだハーバードの学長ではなかった。しかし、1980年代にハーバード大学経済学部教授、1990年代に世銀と財務省の官僚、2001年からハーバード大の学長という経歴により、サマーズは、シュライファーキャリアパスに影響を及ぼし、米国の対露援助とそこでのシュライファーの役割を決定付け、スキャンダルが明るみに出た後はシュライファーを守る上でユニークな地位にあった。サマーズはハーバード大の学長として、大学のこの件の処理から距離を置いていたが、当時文理学部長だったジェレミー・ノールズを呼んでシュライファーを守るように依頼し、自分の意図を明らかにした。


ハーバードが史上最大額の和解金を支払うことを余儀なくされてから数ヶ月経っても、その主たる原因となったシュライファーは学部に留まっている。彼に対し何ら公的な措置は取られておらず、本誌が印刷に回る12月後半現在、そうした措置が検討される兆しすらない。


他の件についてはおしゃべりな大学界隈も、この件については奇妙な沈黙が支配していた。学部長のオフィスや地元ケンブリッジの溜り場でひそひそ話が囁かれるのがせいぜいだ。そうした溜り場でのIIの取材に対し、事情を良く知るある関係者は、深い懸念を漏らした:「ラリーのシュライファー問題の扱いは、彼のハーバードの運営方針に根本的な疑問を生じせしめる。これは重大な問題だ。この上なく重大な。」


ハーバードカレッジの元学長のハリー・ルイスのような学界の重鎮たちの先導により、その沈黙は破られつつある。ルイスは大学についての本をほぼ書き上げ、春にもペルセウス・パブリック・アフェアーズから出版する予定だ。II誌に見せてくれた原稿で、彼はこう訴える。「ハーバードがシュライファーの件を扱った際の相対主義により、学生に対するハーバードの倫理上の権威は損なわれた」


この新たな疑義の提示が、サマーズと大学を取り巻くもう一つの危機にまで発展するかどうかはわからない。しかし、ハーバードとそれを代表した者の不正行為の話は、以下でその全貌が初めて明らかになるが、米国政府の大いなる権力と資源が間違った手に委ねられるとどれだけの損害をもらたすかを物語るのは間違いない。


何だかサマーズがパルパティーンのように描写されていますな*4。そうするとシュライファー暗黒卿ということか。実際、事件発覚後にUSAIDからサックスに送られた抗議文の以下の一節は「シスを倒すべきものが倒すべき対象に成り果てた」というエピソード3のケノービの言葉を彷彿とさせる(ただし、シュライファーの場合はサマーズがそう仕向けたわけではなく勝手に堕ちていったわけだが)。

USAIDは、ロシアの重要人物たちに、ロシア資本市場への投資家の信頼を得る方法として、開かれた透明なプロセスの価値、利害の衝突を避けることの重要性を説いてきました。…[ヘイとシュライファーの]米国政府の資金により賄われた職員と設備を利用した個人的活動は、ロシアにまったく逆のメッセージを送るものです。


冒頭部の後に続く詳細な報告では、シュライファーが率いる一味が密かにその優秀な頭脳を駆使して奸計を巡らせ、一糸乱れぬ統率のもと、監視の目を巧妙に欺いた取引により莫大な利益を上げた恐るべき経緯が明らかになる…わけではまったくない。この記事を読む限り、米露双方の倫理観に欠けた子供染みた連中がそれぞれてんでばらばらに私利私欲を追い求め、場当たり的にお互いを利用した挙句、衝突したり、あるいは恋に落ちたりした(!)、というのが実態のようである。上の冒頭部でも杜撰な資金の私的流用の話が書かれているが、さすがハーバード、と唸らされるような知略を感じさせる話は最後まで出てこない。その点では日本の最近のインサイダー事件とレベル的にあまり変わらないか、却って劣るくらいだ。
監視への対応については、報告を嘘で塗り固めるならまだしも、本来すべき報告を単にしないで済ます、というお粗末なものだ。また、心ある人の告発によって監視の手が伸びそうになると、その人を単にクビにする、という乱暴な対応をする。最後の方では、シュライファーがクビにした内部告発者をサックスが戻し、それをまたシュライファーがクビにしようとしてサックスがまた戻すという、ほとんどコントのような一幕も報告されている。


シュライファーが夫婦でインサイダー投資に手を染めていく過程についても、まったく悪びれることなく始めた様子が描かれている。その辺りは読んでいてこちらの気分が悪くなるほどだ。また、それを隠すこともなく、自宅のパーティーに招いたフェルドシュタインら客人の前で、あっけらかんとロシアへの投資の話をしたことも書かれている。


なお、レポートの核心部分では、冒頭部で軽く名前だけ触れられたジョナサン・ヘイが主役となっている。そこの部分では、シュライファーとサマーズに焦点を当てた冒頭部(や末尾)とは対照的に、シュライファーは(ロシアに常駐していたわけではないこともあり)むしろ脇役の感すらある。ヘイは、シュライファーの代わりにモスクワで日々のオペレーションを監督するため、ハーバードのロースクールを出たてのところを採用された。彼もシュライファーに負けず劣らず倫理観を欠いた人物で、不正行為を行なうに際して都合の悪い人物は排除し、恋人が設立した投信会社をロシア政府の認可第一号にするよう奔走する。このレポートでは、その認可を巡って駆け引きが繰り広げられる様子が、後半部分のかなりのページ数を割いて描写されている。


スキャンダルが明らかになった時のシュライファーの反応は、お子ちゃまとしか言いようがないぶざまなものだ*5。米国政府の監査を自分やヘイやハーバードを陥れるものだ、非難すると同時に、AIDプログラムなんかもうやめちまえ、と書いたレターを学務担当副総長に出してみたり、提携していた投資家に問い質された時には「私は見捨てられた。私はただのコンサルタントだった。あれはサックスのプログラムで、かれが仕切っていたんだ」と責任逃れしようとしたりする。そのあたりの描写により、彼はこうした大きなプロジェクトを率いる器ではなかったことが否応無く暴露される。とはいえ、その一方、同じ期間中に学者としては嚇々たる成果を上げていたのだから、人間というのは分からないものだ。

*1:たとえば日本語の有名ブログではこれ

*2:訳注:結局この記事が出た直後の2006年2月21日に辞意を表明することになる。これこれこれによれば、このII誌記事も辞任の一因になったようだ。

*3:ただ、サマーズが去った後に少しだけ降格したようだ。

*4:この記事でもその感があったが。

*5:もちろん、この記事がどこまで正確か、という問題はある。上の注記でも触れたハーバード・クリムゾンの記事wiki経由)によると、経済学部以外からのバッシングに対し、経済学部の教授はシュライファー擁護で一致した、とのことだ。ある教授は、この記事は反ユダヤ的とまで口走って、後日撤回に追い込まれたらしい。