サックス VS スティグリッツ

今日は、30日エントリの「5.サックス VS スティグリッツ」に記した以下の書評を紹介する。

● サックス書評 (The Washington Monthly Online 2000/03)(リンク

この本(邦訳は下記)の書評。

ロシアの選択―市場経済導入の賭けに勝ったのは誰か

ロシアの選択―市場経済導入の賭けに勝ったのは誰か


書評にかこつけて、文中で、サックスはスティグリッツのロシアへのショック療法批判に次のように反論している*1

1991年11月に、ガイダルはエリツィンの主任経済顧問および副首相の座に就く。1992年後半には首相代行になったが、敵対的な最高会議によって追放された。1993年後半に政府に短期間戻る。その後、回想録に記された残りの期間は、ガイダルはロシアの民主化勢力のリーダーであり、議員であり、また、ロシア政府およびエリツィン大統領の主たる助言者であり続けた。


ガイダルの物語は、彼の明晰さ、大胆さ、そして粘り強さを改めて思い起こさせる。また、ロシアの動乱の10年はガイダル(そして私自身を含む外部の経済学者)を頂点とする誤った経済改革のせいだ、と今も言い続けている米露両国における多くのガイダル批判者の恥知らずな認識の甘さと冷笑主義を想起させる。そして、考えてみれば、ガイダルとその同胞が苦闘していた最初の年に彼らを助けようとしなかったため、米国がどれだけ多くのものを失ったかということも(明記はしていないものの)思い出させる。


この本は、間もなく退任するスティグリッツ世銀チーフエコノミストらの論議に対する即効の解毒剤になっている。スティグリッツは、ロシアにおける変革を学術セミナーと混同している。スティグリッツが率いる米国の学者の一団は、ガイダルら「ショック療法」の主唱者たちが、市場経済は制度と法に基づくものであり、単なる教科書に乗っているような需要と供給の図ではない、ということを忘れたため、ロシアの改革は失敗したのだと考えている。冗談じゃない! ガイダルの回想記を読めば、ロシアの改革の努力は、市場改革の順番などという生易しいところが主眼だったわけではないことがわかる。本当の問題は、より基本的で緊急なものだった。1991-92年の冬にモスクワにパンがあるのか? 私有財産は合法になるのか? ロシアの政治は暴力と報復主義の方向へ向かっているのではないか? ロシアは自国通貨を発行するのか、発行するとしたらそれはいつか? 1993年にモスクワで内戦が勃発するのか? それぞれの状況について、ガイダルは、冷静なプラグマティズムと分析力により、もう少しで破局に陥るところから突破口を見つける。


しかし、改革は最初の年に高インフレで躓くことになる*2ポーランドの価格自由化が一時的な価格高騰を招いただけでうまくいったのに対し、ロシアでは食料店の棚がいっぱいになることはなく(ただし食料不足は解消した)、1992年末にはハイパーインフレ寸前までいった。サックスは、この問題に関しガイダルが考察した箇所は金融の専門家は必読、と褒め称える。
インフレを招いた原因のサックスによるまとめは以下の通り。

  • 政治的な分裂が財政赤字の削減を妨げた。
  • ウクライナのような旧ソ連諸国がルーブル建ての債務を増やし続けた(各国が実質的に独自の貨幣に切り替わったのは1992年半ば)。
  • 共産党時代の官僚ヴィクトル・ゲラシチェンコが総裁を務めるロシア中央銀行が紙幣を刷り続けた。

なお、全般にこの書評でサックスはガイダルを賞賛しているものの、一点だけ難点を挙げている。それは、オリガルヒを生み出すことになった腐敗した国営企業の民営化の過程について、この本では沈黙を守っている点である。改革の指導者チュバイスがどの程度関与していたかも含め、ロシア国民、および世界にはその過程について知る権利がある、とサックスは書いている。
まあ、スティグリッツ例の論文でもあげつらっているように、(初年度の高インフレと並び)その点が今に至るショック療法の失敗の象徴とされているので、サックスとしては無理からぬ要求だろう。ただ、今のロシアで(この本が出版された当時なら猶更)それを告発することは死を意味することに彼は思いが及んでいるのだろうか(実際、殺されかけたようだし)。


また、ロシア人向けに書かれたこの本で、西側の果たした役割にほとんどページが割かれていないことをサックスは指摘する。その上で、自己弁護とも取れる以下の記述で、この書評を(事実上)締めくくっている。

私自身を含む助言者たちもまったく登場していない。以前から説明しているように、これが私がモスクワで実際に感じたことなのだ。1989-91年のポーランドの改革の企画と導入を手伝った後、そして、そうした改革の重要性を1991年後半にガイダルのようなロシアの同僚に伝えた後、実際に起きたことへの私の影響力は実質ゼロだった。それはロシアにおいてだけではなく、米国においても同様で、米国政府とIMFは、彼らの無為(死活的に重要な援助や、債務免除を行なわなかった)や政策勧告(ソビエト時代のルーブルを共同通貨として維持するよう勧告したことなど)に対する私の批判を単に拒絶した。

[補足]

なお、ショック療法に関する点を除けば、実はロシア経済に関しても、サックスとスティグリッツにそれほど意見の差は無い。アジア危機におけるのと同様、IMFと米財務省が高金利による通貨価値の維持にこだわったのは間違いだったと批判している。
たとえば、30日のエントリで関連記事として挙げたもののうち以下の2つでは、両者ともロシアの通貨切り下げが正しい方向だと論じている。

スティグリッツの記事は、ロシアが実際に景気回復した後というbenefit of hindsightもあり、その回復が通貨切り下げのお蔭だったと主張している。
また、スティグリッツは、この記事でも腐敗した民営化をロシアの改革派のせいと非難しているが、サックスが上の書評で民営化の過程についてガイダルに問いただしたいと書いているように、その点でも実は両者の意見の差は無いのではないかと思われる。


[補足2]

30日のエントリでは、関連記事として、Janine Wedelという女性人類学者が米国の対露援助の失敗を取り上げた雑誌記事と、それに対するサックス等の反論、および彼女の再反論も紹介した。なお、彼女のHPでは、その雑誌記事の元になったと思われる著書が紹介されている。

  • Tainted Transactions (The National Interest, Spring 2000, No.59)(リンク
  • Tainted Transactions: An Exchange (The National Interest, No.60)(リンク

Janine Wedelは、人類学の観点からこの問題を分析したと称しているが、サックス等の反論によれば、事実誤認が多く、本人の思い込みと陰謀論に基づくトンデモ記事(およびトンデモ本)、ということになる。
そうしてみると、あまり実りのある論争のようには見えないが、サックスは反論の中で自分のロシアとの関わりを詳述しているので、取りあえずその部分(だけ)は史料価値があるように思われる。

なお、サックスはこの中でシュライファーとの関わりを否定しているが、シュライファー問題については、30日エントリの脚注で触れた資料「How Harvard Lost Russia」に詳しい(これはトンデモではないきちんとした調査報告のようだ)。明日のエントリでは、この資料の内容を紹介してみようかと思う。

*1:ただし、昨日のエントリに書いたように、スティグリッツはサックスを名指しで批判したことはないのだが。ちなみにこの書評の日付を見ると、スティグリッツ例の論文が出る1ヶ月前という(いろんな意味で)際どいタイミングである。

*2:原文では「This was often blamed on Gaidar's decision to free prices from controls on January 2, 1990, ending decades of state price-setting.」と記述しているが、これは「January 2, 1992」の誤り。