航空事故とフォーク定理

今回の羽田の航空事故を巡り、事故の刑事責任の追及が自動車事故などに比べて緩やかなのはやはり納得できない、という声と、今後の安全性のためにはそれが当然、という現在の慣行を支持する主張が改めて持ち上がり、議論になっている。現在の慣行については、その日米比較を行ったこちら服部健吾氏の論文が参照されることが多いようだが、同論文では現在の慣行を支持する論拠として、「萎縮効果(chilling effect)」が一つのキーワードになっている*1。そこで「chilling effect accident criminalize」で検索を掛けてみたところ、Flight Safety Foundation*2のPresident兼CEOのHassan Shahidiが2019年5月17日に書いた「Criminalizing Accidents and Incidents Threatens Aviation Safety」という同財団のHP上の論説が引っ掛かった。同論説では、同年3月のスイスでの裁判で6年半前の死傷者の無かった航空事故に関して航空管制官が有罪の判決を受けたこと、およびそうした動きがこのところ相次いだことを憂慮し、航空事故で刑事責任を追及しないことの意義を改めて説いている。素人にも分かりやすい簡明な説明になっているので、以下に引用してみる。

It has been said that the aviation industry is the most labor-intensive safety operation in the world. Human errors are going to happen. The redundancies and mitigations in our current processes have helped to trap these hazards so that in commercial aviation, there are fewer than three accidents per million flight sectors, according to ICAO data. It is imperative that the industry learn from those errors to improve upon this outstanding performance and to reduce the risk that similar accidents might happen again.
The aviation industry has a remarkable safety record due in large part to the willingness of operators and manufacturers to cooperate fully and frankly with investigating authorities. The benefit of gaining accurate information to increase safety standards and reduce recurring accidents outweighs the retributive satisfaction of a criminal prosecution, conviction and punishment. Increasing safety in the aviation industry is a greater benefit than seeking criminal punishment for those “guilty” of human error or tragic mistakes.
The Foundation understands that it is unrealistic to expect that aircraft accidents will not, in some cases, result in civil or criminal legal proceedings. Evidence of willful acts of misconduct, intentional failures to follow procedures, or egregious reckless behavior should result in regulatory enforcement action or, in some cases, criminal prosecution.
But all parties involved must keep in mind that criminal investigations and other judicial actions may hinder the critical information-gathering portions of an accident investigation and subsequently interfere with the successful prevention of future accidents and the mitigation of risk.
(拙訳)
航空業界は世界で最も労働集約的な安全運用である、と言われている。ヒューマンエラーは起きるものである。我々の現在の手順における冗長性とリスク軽減策は、そうした危険を捕捉するのに役立ち、その結果、ICAOデータによれば、商業航空での事故は百万飛行区間につき3件以下となっている。業界がそうしたエラーから学習し、顕著な成績をさらに改善して、同様の事故の再発リスクを減らすことは必須である。
航空業界は注目すべき安全記録を有しているが、それは、運航業者と製造業者が調査当局に完全かつ率直に進んで協力する姿勢によるところが大きい。安全基準を高め事故の再発を減らすために正確な情報を得ることは、ヒューマンエラーや悲劇的なミスについて「罪ある」人々に対して刑事訴追、有罪判決、および懲罰による応報的な制裁を追求することよりも便益が大きい。
財団は、一部の航空事故においては、民事もしくは刑事の法的手続きが行われないことを期待することが非現実的であることは理解している。故意の違法行為、わざと手順に従わないこと、もしくは甚だしく無分別な行動は、規制上の強制措置、あるいは場合によっては刑事訴追に処すべきである。
しかし関係者すべては、強制捜査やその他の訴追行為は、事故調査において極めて重要な情報収集の過程を阻害し、従って、将来の事故の防止とリスクの軽減を上手く行うことを阻害することを念頭に置いておくべきである。

この論説を受ける形で、自らもパイロットと安全の専門家である航空ジャーナリストのStuart “Kipp” Lauは、「Just Culture—Are We There Yet?」と題された同年11月21日付けのAviation International News*3論説記事で、刑事訴追をするかしないかの線引きについて考察している

Unfortunately, the concept of applying a just safety culture in aviation is elusive. It’s truly a global clash—a conflict between blame and accountability. According to aviation safety expert James Reason, the components of a safety culture include just, reporting, learning, informed, and flexible cultures. A just culture is an atmosphere of trust where individuals are encouraged and sometimes rewarded for providing safety-related information.
A key principle of a just culture is the clear understanding of the difference between acceptable and unacceptable behavior. Defining what is acceptable or unacceptable is a trick. Who gets to decide?
The left side of this line allows for human error, omissions, and lapses, and accounts for other vulnerabilities in the system, whereas on the right side of the line are behaviors that are determined to be culpable such as intentional willful violations, reckless behavior, or criminal acts.
(拙訳)
残念ながら、公正な文化*4を航空分野に適用する概念は分かりにくい。それはまさに世界的な衝突であり、非難と説明責任の間の紛争なのである。航空安全の専門家であるジェームズ・リーズンによれば、安全文化の構成要素に含まれる文化としては、公正、報告、学習、情報、および柔軟な文化がある。公正な文化とは、個人が安全に関する情報を提供することが奨励され、時には報酬を受けるような信頼のある環境である。
公正な文化の中心的な原則は、受け入れられる行動と受け入れられない行動の明確な理解である。何が受け入れられて何が受け入れられないかを定義するのは厄介である。誰が決めるというのか?
この線の左側では、人の過誤、遺漏、過失を許容し、システムの他の脆弱性を説明対象とする一方で、この線の右側には、敢えて故意に行った違反、無分別な行動、もしくは犯罪行為など、罪に問われるべき行動がある。

また、少し前の記事になるが、航空安全の専門家のKenneth P. Quinnは、2001年1月のスミソニアン*5論説記事で、当時米国で進んでいた航空事故に対する訴追の動きに反対の論陣を張り、以下のように述べている

Absent deliberate sabotage, an aircraft accident should not be criminalized because criminalization of aviation serves no useful purpose. Traditionally, criminal punishment is meant to both deter and punish. In the case of an aviation accident, however, the accident itself is its own punishment to the individuals and companies involved. I have represented on many fronts SabreTech, the maintenance company employed by ValuJet when its DC-9 dove into the Florida Everglades on May 11, 1996. Does anyone doubt SabreTech learned a painful lesson? The company paid over $14 million in uninsured expenses relating to the accident, and it is still vulnerable to additional claims. Harsh, unrelenting media coverage following the accident helped put the company out of business first in Miami, then in Orlando, and finally at its flagship facility in Phoenix. Thousands of jobs were lost. It went from being the third largest independent repair station in the country with decent profits, to being over $24 million in the red today. Even though its former maintenance workers were acquitted on all charges and the company was acquitted on two-thirds of the federal criminal charges brought against it, both the individuals and the company were devastated.
Based on my experience, guilty pleas and convictions are not victories for prosecutors or the traveling public. Some companies must opt for a guilty plea just to avoid the business damage and prolonged media scrutiny associated with a grand jury investigation, indictment, and trial. In this highly competitive industry, where a pristine safety record is crucial to success, no company wants to be branded in the news as potentially unsafe. And customers are understandably reluctant to continue to do business with a tainted company. In SabreTech’s case, customers were upset to see their own aircraft showing up on the evening news. Even the most loyal customers are likely to leave companies accused of wrongdoing, simply for liability reasons.
In short, companies may be inclined to plead guilty. After all, prosecutors can get grand juries to indict a ham sandwich.
(拙訳)
故意の破壊活動が無ければ、航空事故は刑事訴追すべきでない。というのは、航空分野での刑事訴追は何ら有用な目的を果たさないからである。伝統的に、刑事処分は抑止と懲罰の両方を意図している。だが航空事故の場合、事故そのものがそれだけで関係する個人と企業への懲罰となる。1996年5月11日にバリュージェットのDC-9がフロリダのエバーグレーズに沈んだ時*6、私は多くの方面で、バリュージェットが契約していたメンテナンス会社のセイバーテックの代理人となった。セイバーテックが苦痛に満ちた教訓を学んだことを疑う人がいるだろうか? 同社は事故関係の保険外費用として1400万ドル以上を支払い、さらなる請求を受ける可能性がある。事故後の情け容赦のないメディア報道が一因となって、同社はまずマイアミでの操業を停止し、次いでオーランド、そして最後には最重要のフェニックスの工場も操業を停止した。何千もの仕事が失われた。同社は、まずまずの利益を計上している国内で三番目に大きい独立した修理業者から、今日の2400億ドル以上の赤字企業に転落した。同社のメンテナンス担当の元従業員がすべての罪状について無罪となり、同社も連邦による刑事訴追の2/3について無罪になったとはいえ、個人も会社も共に打ちのめされた*7
私の経験から言えば、有罪答弁と有罪判決は検察当局や旅行者にとって勝利ではない。企業の中には、大陪審捜査、起訴、そして裁判に伴うビジネスへの打撃と長引くメディアの精査を避けるだけのために有罪答弁を選ばざるを得ないものもある。綺麗な安全記録が成功にとって決定的に重要な、この非常に競争的な業界においては、安全でない可能性があるとニュースで烙印を押されたい企業はない。そして当然ながら、顧客は汚点のある企業とビジネスを続けることを躊躇う。セイバーテックの場合は、顧客が、自身の航空機が夜のニュースで映し出されるのを見て動揺した。最も忠実な顧客でさえ、単に不利益という理由で、不正行為で告訴された企業の下を去る可能性が高い。
要は、企業には有罪答弁に傾くきらいがある。結局のところ、検察当局はハムサンドイッチさえ大陪審に起訴させることができるのである*8


こうしてみると、航空事故では刑事訴追をしない、というのは自明の理というわけではなく、Lauの指摘するような、それなりに微妙な線引きと判断が必要なこと、および、仮に刑事訴追に踏み切る場合には、Quinnの指摘するような企業側とのゲーム理論的な駆け引きが生じることが分かる。また、Shahidi論説で示されている比較衡量、即ち、遺族や社会の処罰感情と、それによって将来の事故の予防がどれだけ妨げられるか、の比較衡量も――航空事故の場合には後者を優先するのが当然、というコンセンサスが専門家の間では成立しているようだが――厳密な定性ないし定量分析のためには、やはり経済学やゲーム理論による考察が多分に必要なように思われる。その意味で、そうした見解は、ゲーム理論のフォーク定理のWikipediaの説明にある「証明をつけようと思えばつけられると誰もが思っているが、実際には誰一人としてその証明をつけたことがない定理」なのかもしれない*9

また、冒頭で紹介した議論にあるように、自動車事故と違って航空事故では責任者の刑事訴追が行われない、ということに素朴な違和感を抱くのが一般の人情かと思われる。そこで、航空事故がそのように特殊な扱いを受ける理由について、自分なりに考えた要因を以下に箇条書きにまとめてみた。

  • 事故の重大性
    • 一度発生した場合の被害者の多さ
      • 航空事故以外では原子力事故など
  • 事故発生時の対応の容易性
    • 自動車はブレーキを掛ければ止まるが、飛行機はそうはいかない
      • 自動車でもブレーキが効かなくなる暴走事故はあるが、全体の事故の一部に留まる
    • 僅かな欠陥やミスが命取りになるので、そうした欠陥やミスの早期発見の便益が自動車より格段に大きくなる
  • 事故の再発の可能性
    • 事故が一回きりならば処罰優先で問題ないが、再発の可能性があれば、発生時のコストに鑑みて、再発防止優先となる
      • 囚人のジレンマで、有限回ならば非協力解が均衡解となるが、繰り返しゲームでは協調解がナッシュ均衡となる、というのと同様の逆転現象(この点でもフォーク定理のアナロジーが働くのかもしれない)
    • 再発の可能性については自動車事故も同様ではあるが、大衆に一般化されているため運転者の資質に依存する部分が大きく、免責による再発防止効果が乏しい
      • 航空機はエリートによるベストエフォートが前提
        • 冒頭の服部論文でも「パイロットという専門家に対するリスペクト」が、「そもそも過失による事故の責任を刑事では問わないという米国の刑事法の文化」と共に、「事故において過失致死傷で犯罪容疑に問われた乗務員はいない」ことにつながっている、と指摘されている
        • Quinnが指摘するように、事故発生時の社会的制裁が大きいことも、ベストエフォートの前提につながっていると考えられる
      • 逆に、航空機も、現在のような大型機による大量輸送ではなく、個人が操縦する長距離の飛行が主流であるような(SF的な)世界では、今ほど免責が当たり前ではなくなるかもしれない
  • 自動車も自動運転が一般化すると話が違ってくる可能性
    • 事故の責任が一般の個々人ではなく自動車の製造業者にシフトするため、欠陥やミスによる事故の重大性が大きくなり、免責による再発防止効果も大きくなる
    • 自動運転による事故が主流になった場合、メーカーの寡占性の問題が今より効いてくる可能性も

*1:論文では、今回の議論でも筋論の一つの柱となっている「日本も加盟する ICAO(国際民間航空機関)の国際民間航空条約第13付属書(第8版)」から文言を引用し、「「自分に不利な事故の情報を言えば責任を追及されるかもしれない.それなら事故の情報自体を隠してしまえ.」という当事者への影響,すなわち当事者に証言を控えさせる「萎縮効果(chilling effect)」を考慮し,事故の原因追究から責任追及を切り離し,情報の流用を禁止するものである.」とその趣旨を解説している。

*2:cf. Flight Safety Foundation - Wikipedia

*3:cf. Aviation International News - Wikipedia

*4:cf. Just culture - Wikipedia国交省資料「「航空安全プログラム」等の一部改正について(案)」での言及、厚労省報告書資料「医療事故におけるJust Culture(正義・公正の文化)を支える法制度の構築を目指して-医療事故の原因分析・再発防止推進のための法制度 | 厚生労働科学研究成果データベース」での言及。

*5:cf. スミソニアン (雑誌) - Wikipedia

*6:cf. バリュージェット航空592便墜落事故 - Wikipedia。冒頭でリンクした服部論文では、米国で「航空機事故が訴追されたほぼ唯一の事例」と記述されている。

*7:2002年2月1日付けのAviation Pros記事「Justice Delayed: USA vs. Sabre Tech | Aviation Pros」によると、会社も最終的に全ての罪状について無罪になったが、既に倒産していたとの由。

*8:cf. Indictment of a Ham Sandwich

*9:ざっとググった限りではこの件に関する経済学的・ゲーム理論的な分析が見当たらなかったのでこのように書いたが、もし実際にはそうした分析が既に行われていたらこの言葉は撤回する。