中銀と金融政策の概念の共進化

というSSRN論文をMostly Economicsが紹介している。原題は「The Coevolution of Central Banks and the Concept of Monetary Policy」で、著者はKevin Hoover(デューク大)。
以下はその要旨。

The explicit concepts of a central bank and monetary policy were not fully articulated until the 20th century, although, with some degree of circumspection, they can be used retrospectively in regard to earlier times. The oldest central banks were hardly central banks in the modern sense at their foundings. Rather they coevolved with the financial system and money itself. This paper traces that coevolution and the related coevolution of monetary policy from commodity money and policies related to the maintenance of the quality of the coin or intentional debasement to support the fiscal aims of the state, through the support of the banking system in crises, to the fiat money of today and policies of macroeconomic control.
(拙訳)
銀と金融政策の明示的な概念は20世紀まで完全に明確化されることはなかった。ただし、ある程度の慎重さを以って、過去に遡ってその概念を適用することはできる。最古の中銀は創設時において現代的な意味での中銀とは程遠かった。中銀はむしろ金融システムと貨幣そのものと共に進化してきたのである。本稿はその共進化と、関連する金融政策の共進化を辿る。金融政策は、商品貨幣、および硬貨の質の維持に関係する政策や、国の財政的な目的を支えるために意図的に質を落とす改鋳から、危機時に銀行システムを支えることを経て、今日の不換紙幣とマクロ経済をコントロールする政策へと共進化してきた。

論文の最後では、リーマンショックやコロナ禍における量的緩和などの金融政策を、ジョン・ローがやらかしたような金融政策の古くからの誤用に通じるもの、と断罪し、MMTは少なくともその点について率直である、と評している。
これについて著者は以下の点を見落としているように小生には思われた:

  • 金融政策でどの程度財政政策を支えるのが適切かは未だに分かっておらず、経済学者の間で論議が続いている、というのが現状ではないか。即ち、インフレを大きく悪化させることなく金融政策が財政政策を支えて社会の厚生を改善する余地があるかもしれない、という議論が一定の説得力を持ちつつあり、財政均衡と中銀の独立の組み合わせこそ善、という議論は時代遅れになりつつあるのではないか。その点で、金融政策と財政政策は未だに、(この論文の著者の言う)「共進化」の途中にあるのではないか。
  • MMTは貨幣国定説の観点から中銀を排した議論を進めているため、この論文の著者が言うように、貨幣発行による財政政策、という理屈が見えやすくなっているかもしれない。ただ、実際にMMTを実地で運用しようとした場合、やはり金利や貨幣の量の観測や操作が必要になってくると思われ、結局は「車輪の再発明」ならぬ「中銀の再発明」を余儀なくされるのではないか。それはまさにこの論文が辿った中銀の歴史の繰り返しになるのではないか。