ケインジアンとマネタリストの区別は時代遅れ

というVoxEU記事が上がっている(H/T Mostly Economics本石町日記さんツイート)。原題は「The distinction between Keynesians and Monetarists is obsolete」で、著者はCoen Teulings(ユトレヒト大)。それによると、今や新古典派ケインジアンマネタリストを共に包含する)と新オーストリア学派の区別がより有用、とのことである。

元となったSSRN論文「The distinction between Keynesians and Monetarists makes no sense anymore」では、新古典派の主張の要点として以下の7点を挙げている。

  1. ヴィクセルの中立金利が異時点間の消費取引の市場を清算する。
  2. 長期の古典的な二分法:貨幣所有を倍増させても相対価格には何も影響しない。
  3. インフレは貨幣的現象。
  4. 中銀の金利政策は予想インフレを安定化させるべき。
  5. 中銀の名目金利は中立金利の変化の原因ではなく、結果である。
  6. ヴィクセルの中立金利の低下は、より資本集約的な生産への代替を進める。
  7. その低下は、価値の貯蔵としての金融資産の価格を上昇させる。

続けて論文では以下のように記述している。

Although the details of the exact mechanism differ, this view is essentially shared by a wide diversity of macro-economists, ranging from John Cochrane from the University of Chicago, who is working in the rational expectations tradition of Robert Lucas, see Cochrane (2022), to Olivier Blanchard and Paul Krugman from MIT/Princeton, see Blanchard (2023). Despite the fierce attack of Cochrane on Blanchard on Twitter, both use essentially the same models, which are firmly based on standard micro-economic theory.
(拙訳)
正確なメカニズムに関する細部の違いはあれ、この見解は、ロバート・ルーカスの合理的予想の伝統を汲むシカゴ大のジョン・コクラン――コクラン(2022*1)参照――から、MIT/プリンストンのオリビエ・ブランシャールとポール・クルーグマン*2――ブランシャール(2023*3)参照――に至る極めて多様なマクロ経済学者で基本的に共有されている。ツイッターでのコクランからブランシャールへの熾烈な攻撃にもかかわらず、両者は基本的に、標準的なミクロ経済理論に確固として基づいている同じモデルを用いている。

これに対し、新オーストリア学派の見解と著者が呼ぶ視点について、論文では概ね以下のように解説している。

  • 一部の経済学者の見解だが、フィナンシャルタイムズの多くのコメンテーターなど金融関係のマスコミの大半がこれに追随していることにより、その重要性が大きく増している。
  • ミクロ経済学にそれほど確固として基づいているわけではないため、正確にその内容を記述するのが難しいが、以下ではそれを試みてみる。
    • オーストリア学派の見解では、中立金利をおよそ4%の固定的なものと考えている。
      • 金融関係のマスコミでは「過去10年は極めて緩和的な金融政策が実施された」という文言が頻繁に登場するが、新古典派の見解ではこの言葉は意味をなさない。というのは、新古典派の見解では中銀の金融政策の目的はインフレ予想を安定させることにあるが、2010-2020年の10年のインフレは2%目標を下回っていたからである。従って、中銀の金利はむしろどちらかと言えば高過ぎたことになる。一方、名目金利が4%の中立金利を大きく下回っていたことから、新オーストリア学派の見解では、この記述は完全に意味をなす。
    • インフレは金融政策の成功によってではなく、中国からの安価な輸入品によって低かった、というのも金融関係の報道で良く見られる記述。
      • インフレは常に貨幣的現象、と考える人にとってこの言葉は明らかに意味をなさない。
    • オーストリア学派の見解では、資本の効率的な配分を行う上で市場メカニズムは信頼できない。
      • 新古典派の見解では、最も高い付加価値を生み出す企業が生産資源を惹きつける。一方、4%の中立金利を信奉する新オーストリア学派の見解では、企業ガバナンスに関する市場メカニズムは歪んでおり、低過ぎる金利によって本来は清算されるべき非効率な企業が存続している。彼らによれば、中銀は、インフレ予想の安定化のためではなく、非効率な企業を清算するために金利を上げるべき。
      • オーストリア学派が、中銀の低過ぎる金利によって非効率な企業が存続すると見做す現象を、新古典派では、資本供給の上方ショックによる、より資本集約的な生産への代替と見做す。それにより、資金調達の均衡価格である中立実質金利が下がる。
      • この話のパラドックスは、普段は自由市場の究極の信者とされている新オーストリア学派が、2010-20年の10年間の中銀の金融政策により大きく歪められるほど金融市場が脆弱な幼子のようなものだと同時に信じているように思われることである。

また、新オーストリア学派の主張に直接に帰しているわけではないが、論文では、債務に関して良く見られる議論も以下のように指弾している。

Commentaries in the financial press, and even renowned international institutions like the IMF, often make claims like: “There is too much debt in the world. Both the private and the public sector should hold more buffers to absorb shocks and should lower their debt.” This statement is inconsistent: since the net debt of the public sector is equal to the net buffers of the private sector (households and firms), you cannot simultaneously reduce the one and increase the other.
(拙訳)
金融関係の報道での論説、およびIMFのような著名な国際機関でさえ、「世界の債務は多過ぎる。公的と民間の両部門は、ショックを吸収するためにバッファーをもっと多く保有し、債務を減らすべきである。」という主張を行う。この文章は矛盾している。公的部門の純債務は、民間部門(家計と企業)の純バッファーと等しいため、片方を減らしてもう片方を増やすということを同時に行うことはできないからである。


VoxEU記事/論文では、「Where most (though not all) economists subscribe to the Neoclassical view, most of the financial press adheres to the Neo-Austrian school.(すべてではないが)大半の経済学者が新古典派見解を支持しているのに対し、大半の金融関係のマスコミは新オーストリア学派に追随している」と記述しているが、日本では金融関係のマスコミのみならず経済学者の多くもここで言う新オーストリア学派的な見解に帰順している(少なくとも同僚の経済学者や金融関係のマスコミの新オーストリア学派な見解の誤謬を表立って指弾するようなことはせず、むしろ馴れ合うような行動すら取るが、彼らから見た「素人」の新古典派的な見解における誤謬については言葉を選ばず指弾する)ように見えなくもない。