開発政策がAK47から学べること

Mostly Economicsの表題のエントリ(原題は「What can development practice learn from AK47?」)やタイラー・コーエンが取り上げているが、南アフリカシンクタンクThe Centre For Development and Enterprise(CDE)が開発経済学者のラント・プリチェット(Lant Pritchett)にインタビューしている*1
以下はその概要。

  • 開発は国レベルで起こるプロセスであり、以下の4つの転換を行う必要がある:
    1. 生産的な経済
    2. 始めたことを遂行できる能力のある国家
    3. 市民の必要や願いに反応する政府
    4. 法の下に皆が平等に扱われ、かつ、お互いを平等に扱うことが鉄則となる社会
  • 貧困を無くす小さな活動の積み重ねよりは、国の発展を目指すべき。それが特効薬になる*2
  • 教育については、世界各国は子供を学校に出席させることには成功したが、実効は上がっていない。効果のない支出を投資とは呼べない。
  • ベトナムの教育改革は成功したが、それは人々がそれを望んでいたから。馬鹿げた話のように聞こえるが、そのことこそが鍵となる。達成可能な一連の目標に社会として合意し、それを本当に望んでいることが明らかとなるように行動しない限り、何事も達成できない。
  • インドとインドネシアは失敗例。インドは一貫して教育システムではなく選抜システムを持とうとしてきた。選抜システムでは、生徒を教室に入れるが、学習にとって劣悪な環境しか提供しない。その環境でも学習できる生徒は優秀に違いない、というわけだ。インドはそうしたエリートが人口の2-3%いれば十分、と考えてきた。ただ、今はそのシステムを変えようとしている。
  • インドネシアはすべての学習者への一定レベルの基礎教育には成功した。その点ではインドよりも優れているが、そこから先に行けておらず、凡庸さの低位均衡に陥っている。民主主義への重要な移行は果たしたが、その点では変革ができていない。
  • 根本的な問題はコミットメントにある。子供たちに期待する知識と行動について明確なビジョンがあるか? それらは妥当なコミットメントか? 手持ちの資源、教育力、ノウハウでそれが実際に達成できるか? そうして設定した妥当かつ重要な目標の達成にコミットし、説明責任を持つか? そうしたことが正しくできれば、その後に生じる問題は細部に過ぎない。
  • 発展途上国の人が先進国に行くと生産性が上がるという現象に見られるように、環境の問題は確かにある。それについては「場所プレミアム(The Place Premium)」という論文を書いたことがある*3。教育システムで個人の技能と能力を高めると同時に、経済の生産性を高める必要がある。ダグラス・ノースはかつて、海賊は極めて技能集約的だ、と述べた。武器、航海、交易路、お宝の在処に関する知識が必要だからだ。唯一の問題は、海賊として成功すると他の人の状況は悪化することだ。教育によって生み出される技能と能力が生産的な経済と結び付くよう注意する必要がある。
  • コロナ禍は大きなリスクとなっている。ただでさえ多くの国は野心的すぎるカリキュラムを組んでおり、小学校の学年を上がるにつれどんどん置いてきぼりになる子供がいる。コロナ禍で学校から一年遠ざかれば、その悪循環はさらに悪化する。それと同時に、子供たちの状況を改めて確認し、教えることを見直す良い機会でもある。
  • 子供にコンピューターやタブレットを提供することは、全体の教育システムの中で適切に位置付けられなければ意味がない。その点では、学校の教師に机上の空論となっている教育学を仕事の傍らに受講させるという世界各国で行われている仕組みと似ている。教師の昇給も同様。トランスミッションが壊れタイヤがパンクしている時に、追加のガソリン1ガロンでどれだけ行けるかを調べるために厳密な実験をすることは無意味。
  • 世銀のビジネス環境改善指数*4の問題は、法律上の状況を測定していて、実態を計測していないこと。その点では同じ世銀の企業調査*5の方が良い。例えばビジネス環境改善指数によるとスーダンで建設許可を取るのに470日掛かるというが、実際はもっと短い。
  • 見掛けは素晴らしいが企業が遵守できない「金メッキの法律」を持つことを非常に危険。法律外の取引で物事が決まるようになる。インドやインドネシアでは力を持つ大企業が法を守っていないため、法律改正を要求することもない。そうした状況では、労働や環境の側に立つ人と、法を守らないが「金メッキの法律」に完全に満足している企業との間で、一種の手打ちが成立する。そうすると、法を執行できない機関も加えて、よろしくない均衡が生じる。そうした状況を抜け出すには、徐々に改善する方法を考え、法の真の目的を思い出す必要がある。試行錯誤の過程から内生的・有機的に生成される現実的な政策の方が、労働や環境を上手く保護できることが多い。私が思うに、良き政策から良き慣行が生み出されるのではなく、良き慣行から良き政策が生み出されるのだ。
  • 人々が守れない法律からは必然的に腐敗が生じる。そうなると権力と影響力を持つ者皆がその腐敗した体制から利益を得るため、それを駆除することはほぼ不可能となる。取り決めで物事が進むことの欠点は2つで、褒められたことではないことと、対象が一部の人に限られることである。対象者が限られると、透明性がなくなる。透明性を得るには、取り決めを名誉ある形で行い、精査に耐えられるようにすること。言い換えれば、慣行より法を優先する傾向を逆転させることである。
  • 完全に腐敗した社会では腐敗の告発は泥沼化する。インドネシアではスハルト政権が倒れた後、スハルト時代に最も腐敗しておらず最も進歩的だった人を検事総長に任命した。彼は大規模な反汚職活動を行うと宣言したが、議会はまず彼を汚職で告発した。スハルト時代には皆がシステムの一部だったので、彼は有罪となる可能性があり、解職された*6。こうした泥沼を抜け出すには長く込み入っていて混乱した過程を経る必要がある。
  • AK47は世界で最も一般的な武器である。米陸軍の標準装備であるM16は精確性においてAK16より遥かに優れているが、信じられないほど耐久性の高いAK47と異なり、機能の維持には手入れを要する。そのため、貧しい国の兵士にM16を渡しても上手くいかない。これは開発政策で起きたことに似ている。政策担当者は、環境が整っていないにもかかわらず、最善の政策を導入しようとして、上手くいかなくなる。彼らに必要なのはどこでも導入できるAK47的な政策なのだ。自軍の兵士に合わせて政策設計を行う必要がある*7
  • 南アへのアドバイスとしては、してはならない2つのことと、すべき1つのことを挙げておく。
    1. 最善の慣行を取り入れようとしてはならない。南アの条件に合わせた南ア独自の慣行を発展させるべき。多くの国が素晴らしい結果を出しているフィンランドの教育制度を学ぼうと専門家を派遣しているが、それについて私は「フィンランド人(Finnish)から学ぼうとするとおしまい(you’re finished)だ」と言っている。そうした手法は空想世界のものだ。
    2. ビジネスコンサルタントが効率的な組織になる方法を政府にアドバイスする時に持ち出すような、画一的な模倣も避けるべき。彼らは効率的な組織を調査して同様の形式を導入しろ、即ち見掛けを効率的な組織のようにしろ、と言う。しかし、警官に制服を着せたからといって組織犯罪の手先になることを防げるわけではない。
    3. 人々が本当に解決した問題を拾い上げ、それに取り組むべき。能力を構築するのは問題解決を通じてである。歴史上すべての成功事例で国家は、醜く混乱した、争いを伴う困難な何十年という道のりを経ている。成功した後には神話が作られるが、実際にはそうした困難な過程を経ていたのである。

*1:Frank Chikane師(Frank Chikane - Wikipedia)が開会の辞を述べているが、その中で、ズマのような政治家が間違った方向に国を導くのを防ぐためにも独立したシンクタンクがより強力になる必要がある、と今の騒ぎの焦点となっている前大統領をdisっている。

*2:プリチェットのこの主張はここの第8項でもバナジー=デュフロと対比させる形で引用されている。

*3:cf. これ

*4:ビジネス環境改善指数 - Wikipedia

*5:cf. ここ

*6:この人のこと?

*7:インタビュアー(Ann Bernstein)は、この話を引き出す質問に際して、南アでは国としてトヨタを運転しているのに政府はロールスロイスの政策を導入しようとしている、という例えを使っている。