非対称的な政策

クリス・ディローが、量的緩和の実施と巻き戻しの効果は非対称的である、というGavyn Daviesの2ヶ月前の記事リンクしている
以下は同記事の一節。

...the effect of balance sheet tightening may be offset by the Fed adopting an easier path for short term interest rates than it otherwise would have chosen. This is very different from what happened during the balance sheet expansion phase, when short term rates were fixed at almost zero.
The key point is that the future stance of monetary policy will not be determined by the balance sheet normalisation in isolation, but by its combination with the path for the Fed funds rate. If the adverse effect of the balance sheet run down on bond yields is larger than expected, it would quickly be offset by a more dovish path for short term interest rates.
(拙訳)
・・・バランスシート引き締めの影響は、それを行わなかった場合よりも緩和的な短期金利の経路をFRBが選択することにより相殺されるかもしれない。これは、短期金利がほぼゼロに固定されていたバランスシート拡大局面で起きたこととは随分様相が異なる。
重要なことは、金融政策の今後のスタンスはバランスシートの正常化だけで決まるわけではなく、FF金利の経路との組み合わせで決まる、という点である。もしバランスシート縮小が債券利回りに与えるマイナスの影響が想定よりも大きければ、その影響は短期金利のよりハト派的な経路によってすぐに相殺される*1

ディローは量的緩和の効果をポートフォリオのリバランス効果とシグナリング効果に分け、量的緩和実施時には両方の効果が同じ方向に働くが、巻き戻し時には上述の理由により両効果が逆方向に働く(=シグナリング効果が引き締め的とならない)ため、巻き戻し時のネットの効果は不定、としている。そして、同様に実施と巻き戻しの効果が非対称的な政策の例として以下を挙げている。

  • ゼロ金利下限における財政政策
    • 引き締め時には金融政策による相殺があまり無いために乗数は大きくなる(その相殺の程度は量的緩和の効果をどの程度と考えるかに左右される)。緩和時には金利上昇による相殺があるため、乗数は小さくなる。
  • ブレグジット
    • EUを離脱した場合、加盟の条件はいまより厳しくなろう(ユーロ参加など)。
  • 履歴効果
    • サイモン・レンールイスは、緊縮策はイノベーションギャップ*2を作り出すことによりトレンド成長率を引き下げた、と言う。緊縮策を巻き戻してもこのギャップは閉じないかもしれない。2008年以降の低成長の記憶が、財政政策をよりまともなものにした後もアニマルスピリットを抑制し続けるかもしれない。
  • ローソン景気*3
    • これが高インフレをもたらしたのは、サッチャー不況が技能や産業の生産力を破壊したためかもしれない。そのため、引き締め策を巻き戻してもその政策の損害を回復することができなかった。
  • 奴隷制
    • 奴隷解放奴隷制がもたらした文化面の損害を完全に戻すことはできず、その負の効果は未だに存在する。
  • 格差
    • これも文化面に同様の影響をもたらす。IFS*4は格差が縮小したという報告書をつい最近出したが、80〜90年代の格差拡大によってもたらされた損害(例:信頼や生産性の低下)をすぐには回復できないだろう。
  • 最高税率
    • 80年代にこれを引き下げたことは、富裕層に、税引前所得は自分たちが受け取ってしかるべきもの、という感覚を生み出した。それにより富裕層の税倫理=税法を進んで遵守する意思が弱まった。そのため、税率を引き上げた場合、そもそも引き下げが無かった場合に比べて税回避や国外脱出や退職が多くなり、税収はあまり増えないだろう。

政策には時として以上のような非対称性があることから、レバーの上げ下げで動く水圧式過程を前提とすることはできず、フィリップスのMoniacモデルは経済の良い比喩とはならない、とディローは指摘している。より適切な比喩としてディローは、トラックに轢かれた人はトラックをバックさせても健康体に戻すことはできない、という格言を引用している*5

*1:これは、バランスシート縮小の効果が拡大よりも小さくなる3つの理由としてDaviesが挙げたものの3点目。1点目は縮小ペースが拡大ペースより緩やかなものになること、2点目は縮小効果が既に市場に織り込まれていること。

*2:cf. ここ

*3:cf. Lawson Boom - Wikipedia

*4:cf. Institute for Fiscal Studies - Wikipedia

*5:この格言はクルーグマンも時々引用している。最近ではここでリンクしたNYT論説(Economist's Viewの抄録)で引用しているほか、以前には日本についてここ邦訳)やこのインタビュー元記事)で言及していた。なお、ディローはこの格言をソースは不明としつつもシュンペーターに帰している。