ベンチマークモデルの危険性

ロバート・ワルドマンが、経済学研究の便宜上設定された標準モデル(ベンチマークモデル)が経済学者のコンセンサスとして独り歩きし、政策にも影響を及ぼす、という状況の危険性を憂慮している(H/T Economist's View)。そうしたモデルは現実に近いモデルとして設定されたわけではなく、むしろ現実に近付けたモデルに対照させるものとして使われているのに、科学的な発見として選ばれたと非専門家に誤解されている、とワルドマンは言う。
そうしたベンチマークモデルが置いている前提の危険性の例として、ワルドマンは以下の2つを挙げている。

  1. 技術を外生として扱っていること
    • この点がポール・ローマーの経済学批判につながった。
    • 実際には技術進歩は天から降ってくるわけではなく、人間の努力の賜物であり、成長経済学という分野もある。しかしベンチマークモデルは、1960年代のラムゼイ・キャス・クープマンズ・モデルを最高最適なものと仮定している。
  2. 長期的予測は摩擦無しの新古典派モデルの使用が最善としていること
    • この点がロジャー・ファーマーの批判(cf. ここ)につながった。

外生的な技術とラムゼイ・キャス・クープマンズ・モデルの均衡成長経路への収束が標準的な仮定となっている理由として、ワルドマンは以下の3つを挙げている。

  1. マクロ経済学者の大半が、マクロ経済学研究を成長理論とそれ以外に分け、それ以外を専門とする人は同じ長期モデルを使うことによりお互いを理解できるようにすることで合意した。
  2. 技術進歩をモデル化することはほぼ不可能。そのメカニズムが分かるならば、経済学者ではなく発明家になっている。
  3. 長期モデルの評価は、データや技法の不足によって困難。

その上で以下のように書いている。

Now the three explanations of why we benchmark are three arguments for not taking those shared assumptions seriously. They are what we all say about things we don't think about, don't understand and don't observe.
Unfortunately, they are also the questions on which macroeconomists appear to agree. The assumption that technology is given is almost always made. It is almost always assumed that the long run expected values of (properly scaled) variables are unique and not affected by macroeconomic policy. This happens because macroeconomists do not want to talk about the causes of technological progress or the determinants of long run outcomes.
This means that (as stressed by Farmer) that natural rate hypothesis of unemployment is accepted by default. It is also assumed to be valid here in Rome where unemployment has been much higher in the past 4 decades than it was before.
More generally, it is generally assumed that macroeconomic policy can't affect the long run values of real variables. This means that macroeconmists tell politicians than far sighted statesmen will focus only on price stability, because the real variables will take care of themselves. This means that policians who don't trust themselves (or especially each other) will impose that exclusive focus as a rule.
So we have a European Central Bank with a single price stability mandate, and a Stability and "Growth" pact which forbids fiscal stimulus.
I think the effects of these policy choices have been horrible. I also think that at least part of the blame belongs to macroeconomists who wanted to focus on something else and neglected to warn policy makers that their agreements for the sake of argument weren't a scientific consensus.
(拙訳)
そして、なぜ我々はベンチマークモデルを設定するかについてのこの3つの説明は、そのモデルの共有された仮定を真剣に受け止めるべきではない3つの理由にもなっている。それらは、我々が考えを巡らせず、理解せず、観測していない事柄について我々皆が言っていることなのである。
不幸なことに、それらはマクロ経済学者が合意しているように見える問題でもある。外生的な技術の仮定はほぼ常に設定される。(適当な尺度に変換された)経済変数の長期的な期待値は唯一の値を取り、マクロ経済政策に影響されない、とほぼ常に仮定される。そうした仮定が置かれる理由は、マクロ経済学者が技術進歩の原因や長期的結果の決定要因について論じたくないためである。
その結果、(ファーマーが強調するように)自然失業率仮説はデフォルト的に受け入れられる。その仮説は、過去40年の失業率がそれ以前よりもかなり高くなっているここローマでも有効なものとして仮定されている。
より全般的な話として、マクロ経済政策は実質変数の長期の値には影響を及ぼせないということが一般に仮定されている。これが意味するのは、マクロ経済学者は政治家に対し、長期的視野を持つ真の政治家は物価の安定性にのみ焦点を当てる、何となれば実質変数は自分で自分の面倒を見るのだから、と言うということである。その結果、自ら(そしてとりわけお互い)を信用していない政治家は、そうした限定的な焦点の当て方を規則として課すことになる。
ということで、物価の安定を唯一の使命とする欧州中央銀行と、財政刺激策を禁止する安定・「成長」協定が存在しているわけだ。
こうした政策選択の結果は空恐ろしいものだった、と私は考えている。そして、少なくともその部分的責任は、他のことに焦点を当てたいと考え、議論のための彼らの合意は科学的なコンセンサスではないと政治家に警告することを怠ったマクロ経済学者にある、とも考えている。