民間債務が増加すると融資が抑制される?

かつてクルーグマン中央銀行の貨幣供給コントロール能力を巡って論争を繰り広げた(cf. ここここ)スティーブ・キーンが、スティグリッツProject Syndicate論説噛み付いている(H/T Mostly Economics)。

Joe correctly notes that “the world faces a deficiency of aggregate demand”, and attributes this to both “growing inequality and a mindless wave of fiscal austerity”, neither of which I dispute. But then he adds that part of the problem is that “our banks … are not fit to fulfill their purpose” because “they have failed in their essential function of intermediation”:

Between long-term savers (for example, sovereign wealth funds and those saving for retirement) and long-term investment in infrastructure stands our short-sighted and dysfunctional financial sector…
Former US Federal Reserve Board Chairman Ben Bernanke once said that the world is suffering from a “savings glut.” That might have been the case had the best use of the world’s savings been investing in shoddy homes in the Nevada desert. But in the real world, there is a shortage of funds; even projects with high social returns often can’t get financing.

I’m the last one to defend banks, but here Joe is quite wrong: the banks have very good reasons not to “fulfill their purpose” today, because that purpose is not what Joe thinks it is. Banks don’t “intermediate loans”, they “originate loans”, and they have every reason not to originate right now.
(拙訳)
ジョーは正しくも「世界は総需要不足に直面している」と記しており、その原因を「格差拡大と考え無しに行われている一連の財政緊縮策」の2つに帰している。いずれについても私は異論は無い。しかしそれから彼は、問題の一部は「我々の銀行は仲介という基本機能を果たしていない」ために「我々の銀行は…その目的を達成するのに適していない」ことにある、と付け加えている:

長期の貯蓄者(例えばソブリンウェルスファンドや退職後に備えて貯蓄している人)とインフラへの長期の投資との間に、近視眼的で機能不全に陥っている我々の金融部門が位置している・・・
FRB議長ベン・バーナンキはかつて、世界は「貯蓄過剰」に苦しんでいる、と述べた。世界の貯蓄の最善の利用法がネバダ砂漠の粗悪な住宅に投資することだとしたら、それは正しいだろう。しかし現実の世界では、資金の不足が生じている。社会的リターンが高い計画でさえ、資金が調達できないことが多い。

私は銀行を弁護するつもりは毛頭無いが、ここでジョーは間違いを犯している。銀行が今日「目的を達成」していないのには十二分な理由がある。というのは、彼らの目的はジョーが考えているものと違うからである。銀行は「融資の仲介」を行うのではなく、「融資の創造」を行うのであり、彼らが今創造をしないのには立派な訳があるのだ。

この後にキーンが挙げる銀行が融資を創造しない理由は、債務水準が高いから、というものである。第二次世界大戦後も現在と同様、世界は不況に陥るのではないかと懸念されたが、実際には信用が拡大してGDPが伸び、資本主義の黄金時代を迎えた。しかし現在、民間債務はGDP比にして当時の4倍に達しており、それが貸し出しを抑えている、というのがキーンの主張である。
ただ、ではなぜ民間債務の対GDP比が高くなると貸し出しが抑制されるのか、どの程度まで下げれば貸し出しが再び活発化するのか、についてキーンは何も述べていない。ラインハート=ロゴフは曲がりなりにも(悪名高い)実証分析で政府債務が対GDP比90%を超えると成長が抑えられる、という閾値を示したが、キーンはそういった定量的な分析を一切示していない。彼がここで行っているのは、民間債務と失業に相関があることを示したことと、自分の開発したモデルによるシミュレーションで銀行が仲介者ではなく創造者と考えた方がもっともらしい結果が出ることを示したことだけである。銀行が融資を仲介するにせよ創造するにせよ、スティグリッツが指摘したのは社会的リターンにその融資が向かっていないということだが、それについての直接的な反論は見られない。言ってしまえば、単にスティグリッツが「仲介」という言葉を使ったことに過剰反応しているだけのように思われる。
さらにキーンの学問的真摯さを疑わせるのは、以下の記述である。

As I noted above, that’s probably enough to convince non-economists, but it won’t persuade Joe or the economics mainstream. Their riposte would be “why does the level of private debt matter?”—after all, that’s what Ben Bernanke, another mainstream economic guru, effectively said to Irving Fisher when he dismissed Fisher’s idea that debt-deflation caused the Great Depression:

Fisher’s idea was less influential in academic circles, though, because of the counterargument that debt-deflation represented no more than a re-distribution from one group (debtors) to another (creditors). Absent implausibly large differences in marginal spending propensities among the groups, it was suggested, pure redistributions should have no significant macro-economic effects. (Bernanke, Essays on The Great Depression, page 24)

(拙訳)
前述の通り、これで非経済学者は十分に納得するだろうが、ジョーや主流派経済学者を説得することはできないかもしれない。彼らの反論は「なぜ民間債務の水準が問題になるのだ?」というものだろう。結局のところ、それが、ベン・バーナンキというもう一人の主流派経済学の大物が、デットデフレーション大恐慌を引き起こしたというフィッシャーの考えを退けた時に事実上アーヴィング・フィッシャーに言ったことだからである:

しかし、フィッシャーの考えは学界ではそれほど影響力を持たなかった。それは、デットデフレーションはある集団(債務者)から別の集団(債権者)への再配分を表すに過ぎない、という反論がなされたためである。両集団の限界支出性向に信じられないほど大きな違いが無ければ、単なる再配分には有意なマクロ経済的影響は無いはずだ、ということが述べられた。(バーナンキ大恐慌論*1、page 24)

だが、バーナンキはキーンの引用部の直後に

However, the debt-deflation idea has recently experienced a revival, which has drawn its inspiration from the burgeoning literature on imperfect information and agency costs in capital markets.
(拙訳)
しかし、デットデフレーション理論は、資本市場の不完全情報とエージェンシーコストの発展しつつある研究から刺激を受けて、最近復活を遂げた。

と述べた上で、近年のそうした研究について仔細に論じている。実際、以前紹介したガートラーのインタビューで述べられたように、バーナンキ=ガートラーのファイナンシャルアクセラレーターは、フィッシャーのデットデフレーション理論を現代の手法で定式化したものである。従って、バーナンキがフィッシャーのデットデフレーション理論を退けたというキーンの記述は、事実に真っ向から反する。


銀行が融資を創造するという主張は結構だが、その主張にこだわるあまりキーンは「金槌しかもっていないと、すべてのものが釘に見える」症状に陥っているように思われる。

*1:邦訳:

大恐慌論

大恐慌論