リカードからの意外な贈り物

ブランコ・ミラノビッチが、パトリック・コルクホーンの社会表*1およびロバート・アレンの近刊本「The Industrial Revolution: A Very Short Introduction」を基に、リカードが「経済学および課税の原理」で問題視した穀物法が継続していた場合の所得配分を試算している。ミラノビッチによれば、リカードは、所得の土地、資本、労働への機能的配分は厳密に定義したものの、他の古典派や後の限界主義者と同様、個人所得の配分はあまり気に掛けなかったという。というのは、マルクスと同じく、階級の所得が決まれば個人の所得は自ずと決まると考えていたから、とのことである。
しかしリカードが攻撃していた穀物法は個人ベースの所得配分も悪化させていた、としてミラノビッチは以下の数字を示している。

地主 資本家 労働者
人口比(%) 1.3 3.2 61
18世紀末時点の所得(×生活可能な最低水準) 54 37 4
穀物法が継続した場合の所得 64 27 4

即ち、穀物法の継続により食料の価格は上昇するが、労働者の実質賃金は維持されるため、資本家の取り分が減る。地主の取り分は最も収益率の低い土地での穀物生産費で決まるため、増加する。従って、所得の伸び率を考えると、労働者の所得の伸び率はゼロとなる一方、資本家の所得の伸び率は低下し、地主の所得の伸び率は上昇する。その結果、上位1%(=地主)の所得シェアは16%から20%に高まる。半面、平均所得は低下する。


リカードは、穀物法を廃止して米露などの海外からの穀物輸入を自由化すれば、地主は(彼らの土地での生産費では海外産の穀物に太刀打ちできないため)敗者となり、資本家にとって労働者は(食料価格が下がるため)より安価になる、と論じた。逆に、リカードの提言に反して穀物法を継続すれば、英国で生産される食料はあまりにも高くなり過ぎ、資本家の所得はすべて労働者の賃金に吸収され、賃金支払い後の資本家の純利益はゼロになってしまうだろう。そうなると資本家の投資は細り、経済は停滞してしまう。つまり、この場合、格差拡大は成長の鈍化ないしゼロ成長と結び付いているのだ、とミラノビッチは言う。一方、もし穀物法が廃止されれば、資本家の利益は増え、彼らの貯蓄と投資も増え、経済は成長する。従って、個人間の格差の縮小が成長の加速と結び付くことになる。

ミラノビッチは以下のようにエントリを結んでいる。

Pace Okun, there is no trade-off between equity and efficiency for David Ricardo. In effect, just the very opposite: lower inter-personal inequality leads to faster economic growth. It took thirty years after The Principles… for the Corn Laws in England to be rescinded, but one can easily see how attractive was the sketch of development that Ricardo presented to his readers: he promised to deliver both faster growth and to reduce inequality. Shall we term it the “Ricardian windfall”?
(拙訳)
オークンの説にも関わらず、デビッド・リカードにとって公平と効率性との間のトレードオフは存在しない。実際のところ、その正反対で、個人間の格差の縮小が成長の加速をもたらす。「原理」出版後に英国の穀物法が撤廃されるまで30年掛かったが、リカードが読者に提示した展開の見通しが如何に魅力的なものだったかを理解するのは容易だ。彼は成長の加速と格差縮小の両方をもたらすと約束したのだ。これを我々は「リカード的棚ぼた」と呼んではどうか?

*1:cf. 関連論文