プラザ合意30年目の教訓

と題したブログエントリをジョン・テイラー上げている(原題は「Lessons Learned on the 30th Anniversary of the Plaza Accord」)。


そこで彼が挙げた第一の教訓は、為替相場への不胎化介入は概ね無効、ということである。それはボルドーらが129の円およびマルクの介入を研究した下記の新刊本で明確に示されたし、グリーンスパン2000年のFOMC会合でそのように述べたという。プラザからルーブルに掛けてドルが全般的に――円のみならずマルクに対しても――下げたのは、1981-1985年にFRBの金融政策のせいでドルが上昇したことの反動だとの由。

Strained Relations: US Foreign-Exchange Operations and Monetary Policy in the Twentieth Century (National Bureau of Economic Research Monograph) (English Edition)

Strained Relations: US Foreign-Exchange Operations and Monetary Policy in the Twentieth Century (National Bureau of Economic Research Monograph) (English Edition)


第二の教訓は、プラザ合意が参加5か国(米英仏独日)の金融政策に異なる影響を与えたことだ、とテイラーは言う。例えば米国の金融政策はまったく影響を受けなかったが、日本の金融政策は明確な影響を受けた、としてテイラーは以下の図を示している。

これは、IMFが示した、実際のコールレート*1IMF計算のテイラールールによる金利との1984-1992年における比較図である。この図によると、1985年後半から1986年に掛けての金利はルールベース政策に比べて最大で2.25%ポイント高過ぎ、1987年から1990年に掛けては最大で3.5%ポイント低過ぎたことになる。これは、プラザ合意を受けて、インフレと生産に関するマクロ経済のファンダメンタルズが示すのとは逆方向に日銀が引き締めを行ったこと、および、その1年半後のルーブル合意の時点からは、その正反対の過度の緩和方向に舵を切ったことを示している、とテイラーは言う。こうした金融政策への影響は相関分析で見い出されるだけではなく、そもそもプラザやルーブルの声明に日本政府のコミットメントが明記されており、政策のルールからの逸脱は、それらの声明の内容を日本政府が実施したことの現れ、とテイラーは指摘している。


なお、10/1に開催される30周年記念コンファレンスでテイラーは、将来におけるこの2つの教訓の重要な含意について講演するとの由。

*1:「actual policy interest rate」とテイラーは書いているが、この時期の政策金利はまだ公定歩合