住宅バブルFRB責任論へのサムナーの疑問

昨日紹介したベックワースらの共著論文に、サムナーが2点の異議を挟んでいる

  1. (たとえ意図的ではないにせよ)健全な金融政策が部門間の不均衡を防ぐような印象を決して与えるべきではない。完全な名目GDP目標政策の下にあったとしても、2000年代前半に実際に起きたのとほぼ同規模の住宅バブルが起きていた可能性は十分にある。
  2. 皆が金融政策を金利面から捉えたがるが、金利に焦点を合わせるのは危険*1


また、以下の点も指摘している。

  1. ヴィクセル的な均衡金利を下回っているということが確実にならない限り、低金利は金融緩和を意味しない。そしてそのことは、名目GDP成長率を見ることによってのみ判断可能となる。
  2. 2001年第4四半期から2007年第4四半期の景気拡大期における名目GDP成長率は平均して6%をかなり下回っていた。当時それは、1940年代に名目GDPの集計が始まって以来の景気拡大期における最も低い成長率だった。振り返ってみれば、あるいは2000年代前半の景気拡大期の名目GDP成長率はむしろもっと低くあるべきだったのかもしれない。とは言え、景気拡大期における名目GDP成長率が異例なまでに低かったのに、重要な経済的事件の原因を景気拡大期における過大な名目GDP成長率に帰するのは個人的に躊躇いを覚える。
  3. 金融政策は、経済の特定部門に影響を与えるのに用いられるような外科手術的な手段ではない。ある部門に影響を与えられるのは、経済全体(名目GDP)に影響を与えることを通じてのみである。そのため、1928年と1929年にFRBが高金利で株式市場ブームを抑制しようとした時、金利が高過ぎて名目GDPが落ち込む水準に至るまでは、その政策は完全な失敗に終わった。そして株式市場は崩壊したが、その原因は高金利ではなく名目GDPの下落であった。もしFRBサブプライムブームに寄与したとするならば、それは低金利を通じてではなく、過大な名目GDP成長率を通じてであった。
  4. もしFRBの政策が2001-07の期間における名目GDP成長率を少しばかり低めることを目標としたならば、その反実仮想的な政策における金利は2001-02年には実際よりやや高くなっていただろうが、2003-07年にはかなり低くなっていただろう。長期的には金利は経済に追随するものであるため、2001-07年の低い名目GDP成長率は2003-07年の低い金利を意味する。不動産を「手頃な価格」にすることによって低金利が住宅ブームを醸成したと信ずるならば、このことはよく考えてみる必要がある。
  5. 理想的な金融政策の下でも、不動産貸出を促そうとした連邦政府の政策(FDICGSE、TBTF、CRA、等)や、民間部門の貸し手の過ちによって、サブプライムブームは起きていたかもしれない。緩和政策といわゆる「バブル」*2との間の相関はあまり高くない。実際、1966-81年の大インフレ期にバブルは不在だったし、1928-29年の株式ブームは緩やかなデフレと金利が極めて高い時期に起きた。(公正を期するために言っておくと、1928-29年の名目GDP成長率はおそらくは妥当なものだった。)


ただしサムナーは、FRBが名目GDPではなくインフレに焦点を当てたため、生産性が急速に上昇した時期に過度に拡張的な政策を採った、という論文の中心的な分析は批判するつもりはない、と断っている。

*1:これはサムナーの持論(正確には、フリードマン持説を自らの信条としている)。

*2:サムナーは効率的市場仮説の信者なので(cf. ここ)、バブルというものを信じておらず、引用符で括ることにより、皆がバブルだと言っている時期を指している、という言い方をしている。