政府は反企業的になるべき

とクリス・ディローが書いている。以下はその一節。

...we must distinguish between business and markets. Business is about hierarchy and control; markets are about dispersing power. Markets are about competition, whereas business tries to suppress competition and seek monopoly power; the last thing big business wants is creative destruction. A pro-business government would seek to protect incumbents through red tape that strangles small firms; tough copyright laws; generous outsourcing and procurement policies; and tax breaks. A pro-market government would do the exact opposite, and do everything it could to promote competition. Governments can - and should - be anti-business but pro-market.
(拙訳)
我々は企業と市場を区別しなくてはならない。企業というものはヒエラルキーとコントロールである。市場というものは力の分散である。市場は競争が主眼である半面、企業は競争を抑えて独占力を追い求めようとする。大企業は創造的破壊を最も嫌う。親企業的な政府は、中小企業を窒息させる官僚主義を通じて既存の企業を保護しようとする。即ち、厳格な著作権法、気前の良い外注および調達政策、ならびに税控除によってだ。親市場的な政府はその正反対のことを実行し、競争の促進に全力を傾ける。政府は反企業的かつ親市場的になり得るのであり、そうなるべきである。


ディローは近年の企業の失敗として以下の2点を挙げている。

  1. 過去80年で最大の経済的災害であった2007-08年の銀行破綻
  2. 利益を上げているにも関わらず実物資産に投資していないこと
    • 2000年以降、非金融企業において留保利益が設備や在庫への投資を超過した分は累積で4787億ポンドに達する。その点で企業は、経済に投じるより多くのお金を経済から得ており、アセモグル=ロビンソンのいわゆる収奪的な機関となった。

ディローは、税金逃れや低賃金といった不公正の問題に焦点を当てると、むしろこれらの企業の失敗という事実から注意を逸らすことになってしまう、と警鐘を発している。

また彼は、長期停滞が話題になっていることも企業の失敗の証左である、と言う。企業は、少なくとも英国では、政府とのおいしい契約という形で企業助成政策を引き出すのは非常に上手くなったが、リスクのあるイノベーティブなベンチャーに乗り出すことは不得意になった。銀行家一人当たりの銀行への暗黙の補助金は、福祉の一人当たり受給額を超えているのではないか、と彼は論じる。


こうした状況にも関わらず、労働党は反企業的と見られることを恐れている。何故か? トニー・ブレアはそれについて以下のように述べている。

If chief executives say it is Labour that will put the economy at risk, who does the voter believe? Answer: the cief executives. Once you lose them, you lose more than a few votes. You lose your economic credibility.
(拙訳)
労働党こそが経済を危険な状況に陥らせるのだ、と企業経営者が言えば、有権者は誰を信じるだろうか。答えは企業経営者だ。彼らの支持を失うことは、数票を失うだけには留まらない。経済に関する信頼を失ってしまうのだ。


だが、なぜ企業経営者はそれだけの影響力を持っているのか? ディローはその理由として、政治家への信頼が極めて低いこと以外に、以下の2つを挙げている。

  1. メディアの責任
    • 特にBBCがひどいが、メディアは企業経営者を、すべてのことについての専門家であるかのように扱っている。彼らの経済全般に関する意見は、それ以外の人々の意見よりも信頼できる、という形で報道されている。
    • しかし企業経営者はせいぜい自分の企業の経営についての専門家であるに過ぎず(あるいはステファノ・ペッシーナの場合は、相続に長けていた)、それすらできていないことも多い。サッカーチームのファンは、ある事業の経営能力は他の事業の経営能力を意味しないことを知っている。
  2. 企業経営者は、自らを英雄的でリスクを取ることを恐れない指導者として神格化することに成功してきた*1

*1:cf. ここここ