新古典派経済学者だけが理解している9つのこと

と題したVox記事でマシュー・イグレシアスが、以下の9項目を挙げている(原題は「9 things only neoclassical economists will understand」;H/T Mostly Economics)。

  1. コブ=ダグラス生産関数
  2. 流動性制約
  3. ホドリック=プレスコット・フィルター
  4. 動学的確率的一般均衡
  5. リカード=デ・ヴィティ=バローの等価定理
  6. IS-LMモデル
  7. マイケル・ウッドフォードの教科書
  8. モジリアニ=ミラー
  9. ヘクシャー=オーリンの定理

これに対しBloomberg Viewでノアピニオン氏が解説を加えたところ、最後のヘクシャー=オーリンの定理の解説に対しタイラー・コーエンから物言いがついた
以下はコーエンが指摘した4点。

  1. ノアピニオン氏は「日米など工業国の生産は資本集約的になる傾向にある」と書いたが、ヘクシャー=オーリンの定理は輸出が相対的に資本集約的になるか労働集約的になるかの話であり、生産それ自体の話ではない。
  2. ヘクシャー=オーリンの定理では、労働の質と量の問題、即ち人的資本をどう考えるか、という問題がある。その観点から、米国は労働集約的な国である、という研究者もいる。というのは、頭数ではなく価値の面から言えば、米国は多数の才能を抱えているからである。シリコンバレーやエンターテインメント産業の輸出もそれである程度説明が付く。実際、レオンチェフの時代から、米国の輸出は相対的に資本集約的ではなく労働集約的であることが知られてきた。
  3. ヘクシャー=オーリンの定理では国の資本労働比率を問題にしており、インドが(先進国よりも)多くの労働力を抱えているから労働集約的になるというノアピニオン氏の説明はその点で正しくない。
  4. ノアピニオン氏は米国の半導体製造とインドの衣服製造を例に挙げたが、こちらの報道によれば中国の半導体製造は米国を上回っている。半導体製造は規模の経済、知識経済、および特化の代表例であり、ヘクシャー=オーリンの定理よりはクルーグマンらの貿易の研究に近い話である。ヘクシャー=オーリンの定理は、技術の知識がすべての国で同等の状況にあることを仮定しているが、半導体についてはその仮定が成立しているかどうかは疑わしく、相対的な生産要素賦存がこの件について寄与しているとは思われない。半導体製造を持ち出したのは、ヘクシャー=オーリンの定理の仮定から最も遠いところにある例をわざわざ選んだようにすら見える。