Tony Yatesが名目GDP目標を批判したのに対し、サイモン・レン−ルイスが擁護に回っている。
レンールイスはまず、自分はそれほど熱心な名目GDP目標支持者ではないかもしれないが、ブロゴスフィアの名目GDP目標支持者の大半はモデルに則った議論をしていないので、学界の文脈に沿った議論ということで自分の反論も必要だろう、と市場マネタリストへの嫌味とも受け取れる言葉からエントリを始めている。
その上で、以下の点を指摘している。
- Yatesは「名目GDP水準目標を含め、水準目標の支持論は実務的にも分析的にも非常に弱い」と言うが、現代金融理論の教科書を書いたマイケル・ウッドフォードが名目GDP目標の支持者であることに留意すべき。
- どのようなものであれ水準目標は、最適だが時間不整合的な政策を模倣できることが大きな特長、という点に彼が焦点を合わせたのは正しい。インフレが負のショックを受けた後、中央銀行が目標を上回るインフレを将来について約束することで、負のショックの影響は減じられる。このことはいかなる状況でも有用だが、特にゼロ金利下限においてそうである。
- 彼はそれについて2点の異論を唱えている。一つは分析的なものであり、もう一つは実務的なものである。
- 分析面での異論は、モデルが複雑になると裁量的な政策は複数均衡を生み出す可能性がある、というものである。しかし、ここではルール(=名目GDP目標)に従う政策と、コミットメントを前提とする最適政策とを比較しているので、その話は関係無い。
- 実務面での異論は、名目GDP目標によるコミュニケーションは難しい、というものである。その難しさは時間不整合的な性質から来ているものと思われるが、それを理由にそうした政策を退けるのは、中銀についての非常に古い考え方のように思われる。名目GDP目標の特徴はまさにコミュニケーションの問題に切り込んだ点にある。また、最適な時間不整合的な政策に従うことから得られる厚生利得は大きい。
- Yatesはまた、そうしたコミットメントがフォワードルッキングな期待に依拠している、と論じている。適応的期待の下では、水準目標は高くつくようになる。その指摘は正しいが、中銀も学界も大抵のことについて合理的期待を仮定するのが常である。また、(Yatesが支持する)インフレ目標も、経済主体がフォワードルッキングな期待を持つことが議論の重要な柱になっている。