コント:ポール君とグレッグ君(2015年第2弾)

直接批判なり議論なりしたわけではないですが、クルーグマンが久々にマンキューの名前にブログで言及したので一応拾っておきます。

ポール君
先日、僕がジョー・スティグリッツと僕が左派の「経済学ヒーロー」で、右派ではスティーブン・ムーアやアート・ラッファーなんかがその役割を演じている、と断じた時に、僕が何を言わんとしていたか汲み取れなかった読者もいたようだ。
まず言っておくべきことは、僕は自分が実際のヒーローだと宣言したわけではない。それとは程遠い存在だしね。僕は背の低い方だと言ったことあったかな?(フリードマンほどじゃないけどね) 実際のところ、誰にとっても英雄崇拝はどんなものであれ大きな間違いだ。誰か個人に信頼を置きすぎると、ひどく失望する可能性が高い。(とは言え、本当の悪漢というのは存在するんだけどね) 僕が言いたかったのは――それは自明だと思っていたのだが――ジョーと僕は、リベラル系のメディアないしリベラル系の人全般に引用されたり呼び出されたりする頻度が高い、ということだ。大抵は(過剰なまでの)賛同を得てね。
で、右派の議論でもそういった役割を担う人がいるわけなんだが、彼らはそれほど引用されていないし、そもそも有能な経済学者ですらないことが多い。
だから、グレッグ・マンキューやロバート・バローは著名な経済学者で保守派だ、というのは話が違うんだ。彼らは確かにそうだが、保守派の議論で常に名前が出ているかな? 粗っぽい測定方法として、グーグルニュースでのヒット件数を見てみよう。「マンキュー 経済」で5200件がヒットするが、その多くは最近の経済学の会合での議論に関係するものだ。「スティーブン・ムーア 経済」では65,700件がヒットする。「スティグリッツ 経済」では43,800件だ。
これは本当に非対称的だと思う。経済学界では保守派がリベラルと知的に同等、もしくはより優れている、とお好みならば主張して貰っても構わない(そして、経済学教授は、ある種の社会科学とは違って、圧倒的にリベラルが多いわけではない)。要は、右派がそうした著名な保守派経済学者に指導と指示を頼まず、お雇い専門家の方を好む、ということなんだ。