アナと雪の女王とFRBと市場

という一見関係無さそうなお題を結び付けたProject Syndicate論説をモハメド・エラリアンが書いている(H/T Mostly Economics)。

以下はその概要(ネタバレあり)。

  • 11歳の娘と「アナと雪の女王」を見に行った際、会ったばかりの人と結婚するべきではない、というメッセージのディズニー映画は異例だ、と娘に指摘された。
  • ディズニー映画を観る際、我々は、王女が魅力的な王子とすぐ恋に落ちて「その後ずっと幸せに暮らしましたとさ」という物語を期待するように条件付けられている。困難や障害があっても、それらはすぐに克服される。
  • 同様に、市場参加者はこれまで長い間、FRBの採用する新政策に直ちにきっぱりと恋に落ちることによって十分な報酬を得てきた。障害があったとしてもすぐに克服されてきた。その結果、両者は幸せに暮らすことができた:FRBは高い雇用水準と安定した物価水準という二つの責務をうまく追求することができるようになったと感じ、投資家は巨額の金銭的報酬を手にする機会を得たと感じた。市場参加者の間では「FRBと争うな」が決まり文句となった。実際、FRBは世界で最も強力な中央銀行である。
  • 近年のFRBの責務には、事実上、金融システムの安定が付け加わった。市場参加者は、FRBが責務を果たしその政策が効果を発揮するためには、自分たちが必要とされていることを知っている。そのためFRBは、議事録の公開を早めたり議長の記者会見を定期的に開くなどして、市場に対する「透明性」をここ数年高めてきた。
  • 2008年の世界金融危機以降、FRBが資本市場を鎮めようとして非伝統的手段に訴えるようになると、両者のロマンスはさらに強固なものとなった。FRBは、市場の機能、資産の評価、資産価格の変動により深く関わるようになった。市場もFRBにもっと依存するようになった。
  • 当初、中央銀行家たちはこのロマンスを育むことに熱心だった。そのことが経済成長、雇用、物価安定、金融システムの安定、といった政策目的に適うと考えたためである。しかし最近では、この共依存関係が過剰なリスクテイクとバブル的な評価を生み出しているのではないか、と懸念する者も現れた。このことによってFRBの政治的独立が損なわれるのではないか、とまで懸念する者もいる。2週間前、離任するジェレミー・スタイン理事は、FRBの市場へのガイダンスが「より定性的に」「より非決定的に」なっており、従ってより不正確になっている、と述べた。
  • 映画のアナと同様、市場が、自分とFRBの関係が変わっている(そして変わるべき)、ということを認識するのには時間が掛かるだろう。その認識のためには、映画と同様、ある種のショックが必要となるかもしれない。ただしFRBはハンスのように市場の占領を目指しているわけではないので、結末は映画ほど劇的にはならないだろうが。
  • ということで、ロマンスは続くだろうが、かつてほど熱く無条件のものとはならないだろう。やがて実体経済が映画でクリストフが演じた役割を果たすと期待したい。ただしその点については残念ながら、その後ずっと幸せに暮らしましたとさ、となるかどうかを予言するのは時期尚早。