経済学にパラダイムシフトは訪れるのか?

ジャスティン・フォックスが、経済学における新たなパラダイムを訴えた本を紹介しつつ、パラダイムについて概ね以下のようなことを書いている(H/T クルーグマン)。

  • トーマス・クーンのパラダイムという概念は、1950年代後半に当時設立されたばかりのスタンフォード大学行動科学高等研究センターに彼が一年間在籍した際に、心理学者、経済学者、歴史学者社会学者、等々が自分たちの学問の極めて基礎的な部分を巡って意見が食い違うことが頻繁にあったのに対し、物理学者にはそうしたことが見られなかった、という体験から生まれた。その理由は、物理学者が社会科学者より賢いためではなく、その枠内で研究すべきパラダイムを確立していたためだ、というのがクーンの結論。
  • クーンのパラダイムとは、前提の集合。そのパラダイムのお蔭で、基礎的な部分の議論で時間を無駄にすることなく、問題の解決に取り組むことができる。ただし、科学的前提は現実を完全に反映したものではないため、パラダイムに矛盾する証拠が積み上がった時、科学はパラダイムシフトという苦しい過程を経ることになる。
  • クーンがこの件について執筆していた時、経済学は漸く科学的パラダイムと思しきものに到達していた。合理的な主体が効用と呼ばれるものを最大化する数学的モデルがそれである。金融経済学では効率的市場仮説がそれに相当した。経済学者はクーンを意識すると共に、自分たちの到達したパラダイムに矛盾した証拠が積み上がったことも認識しているが、クーンの言うように、取って代わるパラダイムが現れない限り古いパラダイムは生き続ける。


クルーグマンは、経済学における最大化と均衡はあくまでも第一次近似であり、それに実証結果を反映する形でアドホック的に様々な修正を加えていくのが通常の手法である、と述べている。それは何世代も続いてきた手法なので、パラダイムとして新しいとは言えない、と彼は言う。そして、すべてを最大化と均衡で説明しようとする試みの方がむしろ新たなパラダイムだったが、それは失敗した、と指摘している。真に新たなパラダイムは未だ姿が見えない、というのが彼の認識である。