経済学のPhD保有者がFRBを乗っ取った経緯

と題した2/3付けエントリ(原題は「How Economics PhDs Took Over the Federal Reserve」)で、ジャスティン・フォックスが以下の図を示している*1



エントリ中でフォックスは、アラン・ブラインダーとの以下のやり取りを示している。

So has an economics PhD basically become a prerequisite for running the Fed? “I think the answer is ‘probably yes’ these days,” former Fed vice chairman Alan Blinder — a Princeton economics professor — emailed when I asked him. “Otherwise, the Fed’s staff will run technical rings around you.”
(拙訳)
経済学のPhDを持っていることはFRBを運営するための必要条件となったのだろうか? 「今日においては、その答えは『おそらくイエス』だと思う」と元FRB副議長のアラン・ブラインダープリンストン経済学部教授は私の質問にeメールで回答した。「さもなければ、FRB職員との間に技術面での知識の落差が生じてしまう」


フォックスによれば、FRBはPhDを持つ経済学者の最大の雇用者であり、ワシントンだけで200人、地区連銀にもおそらくそれに匹敵する数がいるだろう、とのことである。


またフォックスは、経済学のPhDを持つ最初のFRB議長は、1970年から1978年まで務めたアーサー・バーンズであったが、彼の歴史的評価は芳しくない*2、と書いている。続く2人はPhDを持っておらず(ただしボルカーは経済学修士であった)、1987年に就任したグリーンスパンからPhD時代が始まった(ただしグリーンスパンの学位取得はコロンビア大学院を去った数十年後の50歳過ぎになってNYUから授与されるという変則的なものであったが)。


上図からは、FOMC委員の高学歴化という流れ、および、法律家から経済学者という流れが読み取れる、とフォックスは指摘している。彼によれば、FRB議長在任の最長記録を持つ(グリーンスパンよりも数ヶ月長い)1970年まで務めたウィリアム・マーチンの時代に、銀行規制よりも金融政策が主流となり、現在の経済学者主導のFRBが形作られたという。その間にPhDの数も増えたので、FRBも多くのPhDを雇うようになったとの由。


とは言え、PhD保有者のみならず経済学部教授までもがFOMC入りするというのは、1990年代初めになっても未だ新奇の試みだったという。フォックスは1994年に副議長に就任したブラインダーの以下の言葉を引用している。

I believe I was the fourth or fifth Board member to come from academia in the Fed’s entire 80-year history to that date,” he said. “Janet Yellen followed quickly, and the floodgates opened. Now it’s normal, even expected.”
(拙訳)
「その時点で80年になるFRBの歴史の中で学界から理事会入りしたのは私で4人目か5人目だったと思う」と彼は言った。「ジャネット・イエレンがすぐ後に続き、門戸は大きく開かれた。今やそれは当たり前のこととなり、期待さえされている。」


こうした経済学者主導の体制に問題は無いのだろうか? フォックスが金融ジャーナリストのロジャー・ローウェンスタインに取材したところ、バーナンキに実務経験が無いことが危機前には問題をもたらしたという。

During the “before,” he clearly suffered for not having any experience as a banker. Bernanke had never issued loans, had never evaluated balance sheets, and probably did not believe it was a macro useful thing to do. He, like Greenspan, believed that the market set a rational price on mortgage securities, so why waste a lot of time parsing balance sheets? Mistake.

After, on the other hand, “Bernanke’s experience as a monetary economist clearly has been enormously useful and beneficial. I doubt that a practiced loan officer could have done better.”
(拙訳)

「危機前」には、銀行家としての経験がまったく無かったことから彼は明らかに苦しんだ。バーナンキは融資をしたことも無ければ、バランスシートを査定したことも無く、おそらくそれがマクロ的に有用なことだとも考えていなかっただろう。グリーンスパンと同様、彼は、市場が不動産担保証券に合理的な価格付けをするのだから、バランスシートの分析に無駄に時間を費やすことはなかろう、と考えていた*3。それは間違いだった。

一方、危機後には「金融経済学者としてのバーナンキの経験は明らかに極めて有用かつ有益であった。実務経験のある融資担当者が彼より上手く職務を遂行できたかは疑わしい。」


フォックスは、FRBがPhD保有経済学者を数多く抱えることはおそらく良いことなのだろうが、そうした人だけで構成されるようになっては困る、と述べている。フォックスは、多様性が失われた単一文化の反面教師として米最高裁を挙げ、同裁判所の9人の判事は3つの法科大学院(ハーバード、イェール、コロンビア)の出身者であり、8人は直前に連邦高裁判事だったことを指摘し、FRBがそうならないことを望もう、と述べてこのエントリを締め括っている。


このフォックスの見解に賛意を表したのがコロラド大学法律学部のErik Gerdingで、法学者集団ブログGlomにおいて、法律の改正や規制緩和が時と場合によっては金融政策以上に金融に影響を与えるのならば、やはりFOMCに法律家は必要ではないか、と書いている


Gerdingはまた、フォックスに先駆けてFRBの多様性の喪失を懸念し、FRBはもっと民主的に説明責任を果たしていた時代に戻るべき、と論じた一例として、Timothy A. Canova・ノバ・サウスイースタン大学法律学部教授の2010/10/7付けProspect論説にリンクしている。ちなみにCanovaは財政政策の有効性を訴えたマリナー・エクルズの時代を戻るべき理想として論じているが、フォックスのエントリではエクルズはむしろ金融政策の効果を信じず、1930年代に有効な手を打たなかった反面教師のように描かれている*4

*1:[2018/10/10]リンク先を旧リンクから張り替え。

*2:cf. ここ

*3:ファイナンシャルアクセラレーター研究の経緯からすると、ローウェンスタインのこの評価は当たっていないような気もする。

*4:エクルズがアコードに果たした役割についてはこちらも参照。