Professor Bernanke, gone he is, consumed by Governor Bernanke

ヨーダ師なら表現するところだろうが、バーナンキの「変節」を分析したローレンス・ボールの論文が話題を集めている。
以下はその要旨。

From 2000 to 2003, when Ben Bernanke was a professor and then a Fed Governor, he wrote extensively about monetary policy at the zero bound on interest rates. He advocated aggressive stimulus policies, such as a money-financed tax cut and an inflation target of 3-4%. Yet, since U.S. interest rates hit zero in 2008, the Fed under Chairman Bernanke has taken more cautious actions. This paper asks when and why Bernanke changed his mind about zero-bound policy. The answer, at one level, is that he was influenced by analysis from the Fed staff that was presented at the FOMC meeting of June 2003. This answer raises another question: why did the staff’s views influence Bernanke so strongly? I seek answers to this question in the social psychology literature on group decision-making.
(拙訳)
2000年から2003年に掛けて、ベン・バーナンキは大学教授からFRB理事となったが、金利がゼロ下限に達した際の金融政策について精力的に論文を書いた。彼は、マネタイズされた減税や3-4%のインフレ目標といった積極的な刺激策を主唱した。しかし、2008年に米国の金利がゼロ下限に達した後は、バーナンキ議長率いるFRBはもっと慎重な政策を採った。本論文では、いつ、どのような理由でバーナンキがゼロ金利における政策について考えを変えたか、という問いを投げ掛ける。その一つの答えは、2003年6月のFOMC会合でFRB職員によりプレゼンされた分析に彼が影響された、というものである。この答えは別の問いを提起する:なぜFRB職員の見解がそれほどまでバーナンキに影響したのか? その問いに対する回答を、私は集団的意思決定に関する社会心理学の文脈に求める。


Mostly Economicsでは、詳細な論文の紹介を行っている。


また、サムナーもこの件に関してブログエントリを幾つか立てており、ここここのエントリでは、問題のFRB職員、即ちビンセント・ラインハートの言動について分析している。そして、彼こそが「悪玉(bad guy)」なのではないか、という前提から分析を始めたが、どうもそういうわけではなく、むしろ最近は彼の方がバーナンキアンになっているという皮肉な捩れ現象が起きているのではないか、と述べている。
さらにこのエントリでは、70年代にインフレを悪化させたことで悪名高いアーサー・バーンズに対するフリードマンの失望と、自分のバーナンキに対する失望を重ね合わせている。その上で、バーンズもバーナンキも結局はその時々のマクロ経済学者の見解の中位値に最終的には従ったのであり、結局悪いのはマクロ経済学者ではないか、と矛先を自分の属する学界そのものに向けている。言うなれば、パルパティーンを探したらFRBではなく身内だった、という結論に到達したようである。


マシュー・イグレシアスは、バーナンキの控え目で謙虚で内気な性格がコンセンサスの過度の重視という形で災いしたというならば、およそそうした描写の当てはまらない性格の持ち主であるサマーズ(イグレシアスはjerkとまで表現している)がFRB議長に相応しかったのではないか、と論じている。おそらく同じ理由でMarcus Nunesは、グリーンスパンが懐かしい、と書いている
ただ、イグレシアスは、そうした個人の性格に物事の説明を帰するのは今ひとつ納得できず、もっと経済学らしくインセンティブによる説明を試みるべきではないか、とも書いており、Nunesもその見解に賛意を表している。


ちなみにNunesは前述のサムナーのバーンズエントリにもコメントを寄せており、1998年のHetzel論文*1にリンクしたほか、バーンズ、バーナンキという学者出身のFRB議長が失敗し、ボルカー、グリーンスパンという実務家出身のFRB議長が成功した、と過去4人のFRB議長の業績を評している*2。それに対しサムナーは、グリーンスパンももう少し長く務めていたら成功とは言えなくなっていたのではないか、と応じている。


そのほか、バーナンキの教え子だというブライアン・カプランもこの件に関して2つエントリを立て(ここここ)、ボールの論文で積年の謎が解けた、と述べている*3。また、インセンティブによる説明を試みたイグレシアスに対し、議長に就任する前、かつ、ゼロ金利の可能性がまだ低かった2003年に意見を変えたことの説明にはならないのでは、とコメントしている。

*1:同論文では、バーンズのそもそものインフレに対する考え方に問題があったのではないかと指摘している。以下は結論部の最後の文章:
Burns conducted monetary policy on the assumption that the price level is a nonmonetary phenomenon. The Congress and the administration, public opinion, and most of the economics profession supported that policy. The result was inflation. That inflation eventually led to the present consensus that the control of inflation is the paramount responsibility of the central bank.

*2:実際にはバーンズとボルカーの間に、短期政権に終わった実務家出身のウィリアム・ミラーがいるが…。

*3:その際、「How often have I said to you that when you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth?」というシャーロック・ホームズの言葉を引用している。