何が潜在GDPの低下をもたらすのか?

最近、潜在GDPが低下したのではないか、というジェームズ・ブラード・セントルイス連銀総裁がシカゴ講演で提示した仮説を巡ってブロゴスフィアで侃々諤々の議論が交わされた。


一つの論点は、潜在GDPをどのように計測するか、ということであった。以前ここで紹介したように、従来から用いられてきたトレンド分解や生産関数アプローチのほか、DSGEモデルを利用した自然率の推定という手法も近年では登場しており、ブラードはそちらの手法を念頭に置いて議論を提起したようである*1


しかし、そうした推計手法の議論は得てして神学論争に陥りやすい*2。そこで、ここではその問題は脇に置いておいて、もし潜在GDPが低下したとしたらどのような理由によるものだろうか、という切り口で議論の俯瞰を試みてみる。以下では考えられる原因を列挙し、併せてそれに関連する各論者のエントリにリンクしてみる。

  • そもそもバブル期のデータを基にした潜在GDPが高く推計され過ぎていた
  • 経済の需要構造の変化により、それまで供給力にカウントされてきたものが意味を持たなくなった
    • ピーター・ドーマンは、その極端な例としてベルリンの壁崩壊後の東欧を挙げている
    • アーノルド・クリングは、彼のPSST理論にこの問題は包摂されるので、そもそも潜在GDPという概念そのものを放棄すべき、と論じている
  • 自然失業率の上昇
    • 1月の物価上昇を基に、アーノルド・クリングがその可能性を指摘した
    • バークレー・ロッサーが、自然失業率やNAIRUを巡る過去の議論を振り返りつつ、その概念の曖昧さについて論じ(例:過去の失業率の高さに影響されるという内生性)、それがブラードの提起した潜在GDPの問題と通底しているのではないか、と指摘した。
  • 需要の減少により投資が減少し、供給力の構築が進展しなかった
  • TFPの低下
    • Andolfattoがこの点に関連する各種の論文にリンクしている
    • 以前ここで紹介したように、最も素朴なRBC理論においてはこれが理由となる。
  • 金融の信用仲介チャネルのコスト上昇
    • この点についてはAdam Pが指摘している(これも煎じ詰めれば前項のTFPの低下に帰着するのかもしれない)。
  • 戦争や自然災害などの外的ショック
    • これは今回のケースには当てはまらないが、この場合は復興の過程で成長率が高まることをノアピニオン氏が指摘した*6

*1:講演ではその点を明らかにしていなかったので、ブラードは潜在GDPの概念を理解していない、というノアピニオン氏Tim Duy(およびそれを受けたクルーグマンEconospeakのPGL)の批判を招いた。それを受けてブラードは、Economist's Viewへのメールで改めて自分の考えを説明している(こちらのロイター記事日本語版]では「インターネットブログでの質疑」という形でその内容が報道されている)。

*2:ブラードの反応を受けたエントリでTim DuyやMark Thomaは、ニューケインジアンモデルをベースにするというブラードの姿勢には理解を示したものの、モデルに取り込む際の前提条件については議論の余地がある、と論じている。また、Thomaはこのエントリで実際に潜在GDPを推計し、トレンド推計に限った場合でも結果が分かれることを示している(線形や二次ではGDPギャップはマイナスという結果が出るが、HPフィルタではプラスとなる)。一方、こちらのブログでは、ニューケインジアン的な考えを基にした推計で、マイナスのGDPギャップという結果を導いている。

*3:Mark ThomaもEconomist's ViewでAndolfattoのエントリを紹介したが、自分はショックは一時的なものだと考えている、というコメントを添えた上で、潜在GDPを高く見積もり過ぎてインフレを招くほうが、低く見積もり過ぎて不況を深刻化させるよりまだましではないか、と推計の誤りの対価に非対称性があることを指摘した。また、デビッド・ベックワースはAndolfattoエントリに事寄せて、逆資産効果流動性需要を高めるが、これはFRBが名目GDP目標により対処できる問題だ、と論じている

*4:クルーグマンとスミスは、住宅投資(や消費)の上振れは生産力の一時的な上振れによってではなく、純輸出の減少によって賄われたことを指摘している(なお、スミスはアジアと米国の貯蓄性向の違いが貿易の不均衡をもたらしたと論じているが、ピーター・ドーマンはそれは因果関係の方向性が逆だろう、と異を唱えている。これは小生が以前このエントリでカバレロに異を唱えたのと同趣旨と言える)。サムナーは名目GDPの成長率に上振れが見られなかったことを指摘している。

*5:サムナーおよびそれにリンクしたデロングは、ブラードの言っていることが当初の講演とメールとで変わっていることを指摘し、ブロゴスフィア(およびTim DuyやMark Thoma)の勝利、と囃している。

*6:そもそもそうした成長率の高まりが今回の回復過程で見られなかったことがブラードの議論の契機となっている。偶然にもブラード講演とほぼ時を同じくしてジョン・テイラーが、今回の回復期においてGDPが未だ潜在GDPに収斂していない状況と、1980年代初めの回復期における潜在GDPへの収斂とを対比させたグラフを自ブログエントリで示しており、ジョン・コクランこちらこちらのブログではそのグラフをブラードの議論と結び付けている。一方、EconospeakのPGLは、ブッシュ減税をレーガン減税の再現と見做している共和党のサプライサイダーの見解をブラードは否定しているわけだね、と茶化している。なお、こうした成長率のバウンドという論点は、以前ここで取り上げた単位根とトレンド定常性を巡るクルーグマンとマンキューの論争とも関連していると言えるだろう。