Cole=Ohanian騒動

先月26日のCole=OhanianのWSJ論説を巡って、米ブロゴスフィアで一騒動あった。


一連の流れはデロングの3つのエントリ(ここここここ)で基本的に押さえられているが、問題となったのは論説の以下の記述。

And in a 2002 speech as a Federal Reserve governor, current Fed Chairman Ben Bernanke claimed that monetary expansion and the turnaround from the deflation of 1932 to inflation in 1934 was a key reason that output expanded.

But boosting aggregate demand did not end the Great Depression. After the initial stock market crash of 1929 and subsequent economic plunge, a recovery began in the summer of 1932, well before the New Deal. The Federal Reserve Board's Index of Industrial production rose nearly 50% between the Depression's trough of July 1932 and June 1933. This was a period of significant deflation. Inflation began after June 1933, following the demise of the gold standard. Despite higher aggregate demand, industrial production was roughly flat over the following year.
(拙訳)
2002年のFRB理事としての講演で、ベン・バーナンキFRB議長は、通貨拡張と1932年のデフレから1934年のインフレへの転換が、生産の拡大の主たる理由だったと主張した。
しかし、総需要喚起策が大恐慌を終わらせたわけではない。1929年の最初の株式市場の暴落とそれに続く経済の急激な落ち込みの後、1932年の夏に回復が始まったが、それはニューディール政策のずっと前の話だった。FRB鉱工業生産指数は、1932年7月の大恐慌の谷と1933年6月の間に50%近く上昇した。その期間は顕著なデフレの時期だった。インフレは金本位制を放棄した後の1933年6月以降に始まった。総需要が高まったにも関わらず、翌年の鉱工業生産はほぼ横ばいだった。


この記述の問題点をUneasy MoneyのDavid Glasnerが指摘し、それをクルーグマンが取り上げたことから騒ぎが一気に大きくなった。


Glasnerやクルーグマンの批判を一言で言うと、Cole=Ohanianは下図の(1)と(2)の2点間を比較しているが、その間の両指数の動きの並行性を無視しているではないか、ということになる*1


また、さらに長期の動きを見ると、両指数の相関はさらに明らかになる、とクルーグマンは指摘している(cf. 下図*2)。



なお、今回のCole=Ohanianの論説の主旨は、大恐慌からの回復は需要ではなく生産性の上昇にあった、という点にあるが、それについてはサムナーが明確に批判している。Cole=Ohanianの論点のうち、ニューディール政策は景気に逆効果だったという点については大いに賛同しているサムナーも(cf. 以前のエントリ)、こちらの主張は受け入れ難かったようで、生産性の寄与が大きかったことは確かだが、総需要も貢献した、という見方を示している。


ちなみに、Cole=Ohanianが「味方」のStephen Williamsonに送った私信によると、彼らはCPIを参照したとのことだが、こちらのエントリのコメントでサムナーは、第二次世界大戦前のCPIは使い物にならないのだが…、とも指摘している。

*1:青線が鉱工業生産指数、赤線が生産者物価指数。ここでは1932年7月の値を基準にした変化率に両指数を変換。ソースはクルーグマンと同じくFRED

*2:この図では赤線=生産者物価指数を右軸に取った。