ポール・クルーグマンのための歴史授業

昨日のエントリの最後でクルーグマンとメルツァーの確執について触れたが、その脚注でリンクした昨春のメルツァーからクルーグマンへの反論を以下に拙訳で紹介してみる。

ポール・クルーグマンのための歴史授業

 アラン・メルツァー

 2009年5月5日, 1:51 pm

将来のインフレを警告する私の記事(“Inflation Nation”)がニューヨークタイムズの論説欄に掲載された後、ポール・クルーグマンが私に「歴史授業」を行うと称するブログポスト(“A History Lesson for Alan [sic] Meltzer*1”)を書いた。
記事の中で私は、急速な貨幣の膨張、大幅な財政赤字、そして為替レートの減価予想と同時にデフレを経験した国はかつて存在せず、そうした国は常にインフレを経験した、と主張した*2。彼は日本の「失われた10年」が反例になっている、と主張している。しかし、それは反例になっていない。私はこの期間の日本について良く知っている。当時私は日銀の名誉顧問を務めており、速水総裁と良く会っていた。彼は貨幣の拡大に反対しており、私は彼に過ちを犯しているのだということを納得させられなかった。デフレの最中に、彼は金融市場の「弛緩」を防ぐためとして金利を引き上げた。我々の幾人かがその時に日銀に伝えたように、それは間違いだった。
福井総裁が速水総裁の任を引き継いだ後、彼は私が速水総裁に推奨していた政策を実行に移した。彼は長期債を購入したのだ。
金融政策は「流動性の罠」に陥っているのだから無効だ、と当時主張したクルーグマン教授の助言に反して、デフレは終結した。その時の彼は間違えていたわけだ。しかも彼は、今日の米国と違って、日本は過剰な財政支出を国内貯蓄で賄っていたことを無視している。我々は他国から借り入れねばならない。中国は、我々の途轍もなく巨大な財政赤字ファイナンスすることを躊躇するかもしれない、という警告の合図を何回も送ってきた。
ニューヨークタイムズの論説欄には我々二人の記事が掲載されたが、クルーグマン教授はいつもと同じメッセージを繰り返した。我々の違いは、FRBと政権が、今日の政策行動の中期ないし長期の影響を考慮せずにどの程度短期の問題にだけ集中すべきか、という点にある。明日というのはいずれ今日になるものであり、きちんと運営されている中銀は、今日の問題と明日の問題のいずれかを無視することは無い。クルーグマンがいくら賃金が下落するかもしれない、と警告しても、実際の賃金は下落していない。現在醸成されているインフレを回避するため、FRBは金融拡張の手を緩めるべきなのだ。

その1年2ヶ月後、本石町日記さんが紹介しているように、クルーグマンが改めてブログでメルツァーに対する勝利宣言を出している。その中でクルーグマンは、上記のメルツァーの反論を指しているのだと思うが、「彼の反応は、記憶によれば、自分は私より日本を良く知っているのだ、と叫びだした、というものだった(his response, as I recall, was to start yelling that he knew Japan better than I did.)」と書いている。


一方のメルツァーは、先月下旬のブルームバーグのインタビューでも上記と同様の主張を繰り返している


ちなみに、昨春の論争時には、マネタリストの末流を自認するサムナークルーグマンに軍配を上げた。また、メルツァーに関しては、リーマン救済について発言が振れたという批判もある(cf. ここ*3ここ)。


10年前には日本の金融政策が消極的過ぎるという点では意見が一致していた――流動性の罠の存在の有無といった学術的な点では違っていたにせよ――クルーグマンとメルツァーが、今や同様の状況に陥った米国の金融政策を巡って角逐を繰り返しているというのは、日本人から見ると些か奇妙な風景、という気がする。同時に、ご高齢の方でもあるので、クルーグマンとデロングももう少し節度を持って接しても良いのではないか、という気がしなくもない*4

*1:sicとは原文のママという意味。ここでクルーグマンはAllanをAlanと誤記している。

*2:メルツァーは例えば2003年のミネアポリス連銀インタビューでも同様のことを述べている。

*3:このデロングのエントリのコメント欄では、Angry BearのKen Houghtonが、正しかったのに間違った方向に変わったのは、程度の差こそあれ、クルーグマンも同じだ、と揶揄している(注:Houghtonはリーマン破綻は正しかった、という立場)。ただし、特にリンク等は示していないので、リーマンに関するどのクルーグマンの発言を指しているのかは不明。

*4:以前デロングとブキャナンについて似たようなことを書いたが…。サムナーが最近のブログ記事を(おそらくロス暴動の時の有名な台詞に因んで)「Can’t we all just get along?」と題したのも、クルーグマンやデロングに、(メルツァーに限らず)相手に対してそうした節度を持って欲しい、という思いがあるからだろう。