ジャネット・イエレンとは何者なのか?

コーン辞任の後を受けてFRB副議長への就任が濃厚になってきたジャネット・イエレンの横顔を、WSJブログが「Who is Janet Yellen?」と題して取り上げている。以下はその拙訳。

ジャネット・イエレン・サンフランシスコ連銀総裁は、バラク・オバマ大統領によってFRB副議長に指名される見込みである。イエレン氏(63)は、ワシントンとサンフランシスコに跨るほぼ10年の任期に亘ってFRBの政策決定者を務めてきた。


政策姿勢:

イエレン氏はFRB議長ベン・バーナンキの政策の頼れる支持者であった。エコノミストたちにはしばしば、一般に成長を促進して高い失業率を削減する政策を支持するFRBの最もハト派の政策決定者、と評されてきた。彼女は、インフレ率の上昇を懸念しがちなもっとタカ派FRB地区連銀総裁に対するバランス役を担ってきた。(FRBが議会から負わされている2つの義務は、維持可能な最大限の雇用を確保することと、物価の安定である。)


投票行動:
FRBの政策決定者として、金利引き上げと引き下げのいずれにおいても、イエレン氏が反対票を投じたことは一度もない。Wrightson-ICAPの集計によると、FOMC委員としてこれまで36回投票してきたが、常に多数派に属していた。現在の12の地区連銀総裁のうち、最低一回反対票を投じたことがあるのは5人いる。Wrightsonの集計によると、現在のFOMC委員で、金利政策に関する投票の経験回数が彼女より多いのは3人しかいない。ドナルド・コーン副議長(63回)、トーマス・ホーニグ・カンザス連銀総裁(60回)、そしてバーナンキ議長(56回)である。


政治経験:
イエレン氏はサンフランシスコ連銀の総裁兼CEOを2004年6月以降務めている。1994年8月から1997年2月まではFRB理事だった。FRBを離れた後、ビル・クリントン政権下でCEA議長を1999年8月まで務めた。1977年と1978年には、FRB理事会の国際金融分科会(貿易・金融研究部門)のスタッフ・エコノミストを務めた。


学歴:
イエレン氏は1967年にブラウン大学を経済学の学位を得て卒業し、4年後にイェール大学から経済学博士号を取得した。1971年から1976年まではハーバード、1978年から1980年まではLSEで教鞭を取った。1980年以降はUCバークレーで教職に就いており、直近では経営学と経済学の教授であった。


研究:
イエレン氏が主に関心を持つ研究分野は、失業と労働市場、金融と財政政策、および、国際貿易と投資政策である。尊敬される学者であり、所得の不平等について幅広く論文を書いてきた。ノーベル賞を受賞した経済学者である夫のジョージ・アカロフとの共著も数多くある(たとえば、1996年の「米国の私生児出産に関する分析(An Analysis of Out-of-Wedlock Childbearing in the United States)」や1991年の「寒い国から帰ってきた東独:通貨統合の経済的顛末(East Germany In From the Cold: The Economic Aftermath of Currency Union)」)。2001年には、元FRB副議長アラン・ブラインダーと「素晴らしき10年:1990年代からのマクロ経済学の教訓(The Fabulous Decade: Macroeconomic Lessons from the 1990s)」を出版した。


語録:
直近の講演FRBのゼロ近傍の金利目標政策を弁護した:「私の見解では、そうした緩和的な政策は適切です。というのは、経済は潜在力を大きく下回って推移しており、インフレ率は好ましくないほど低いからです。私は今が金融刺激策を取り払うのに適切な時期だとは思いません。」

[追記]訳している間にコメントが10以上付いたが、ほとんど米版熱湯よだな、しかし…。支持コメントを書いたWSW氏が共産主義者扱いの孤立無援状態。

[追記2]収入は激減するようだ