政府債務は長期的視野で考えるべき

アンドリュー・スコットというロンドン・ビジネス・スクール教授が、voxeuに「政府債務の長期波動(The long wave of government debt)」という論説を書いている


彼によると、経済学はどの程度の債務水準が高すぎるかについては教えてくれない。しかし、経済学は、大きな外的ショックに対する最適な反応は、政府債務がショックアブソーバーとして機能することだ、と教えてくれる。その結果、債務が膨れ上がり、しかもそれが長期間に渡って続くとしても、むしろ最終的にはその方が望ましいのではないか、ということさえ言える。そうした見方の支援材料として、スコット自身の幾つかの論文のほか、バローの論文なども引き合いに出している。

この理屈について彼は以下のように書いている。

The logic is simple. The UK and US government have the ability to borrow long term and the option to roll over their borrowing. Rather than abruptly raise taxation and cut government expenditure, fiscal policy should adjust over the long term. Fiscal adjustment in the short run is not enough to produce a surplus and so debt rises for a significant period.
(拙訳)
その論理は単純だ。英国や米国の政府は、長期の借り入れを行なう能力と、借金の借り換えをする選択肢を持っている。いきなり税金を上げて政府支出を削減するよりは、財政政策は長期に亘って調整すべきなのである。短期の財政調整を行なっても、十分な黒字を生み出すことはできず、債務は長い期間上昇し続ける。

そして彼は、(ハーフォードクルーグマンも言及した)20世紀前半の英国の事例を取り上げている。それによると、1918年から1932年の間に英国の債務GNP比は121%から191%まで膨れ上がり、1918年の水準に戻ったのは1960年になってからだという。


また、莫大な政府債務の調整はインフレによって達成されると思われがちだが、彼によると、このように長期に亘る調整が行なわれる場合は、インフレではなく基礎的収支の改善を通じて行なわれるのが通例、とのことである。その例として彼は以下の2つを挙げる。

  • イタリアの1972-1997年の財政赤字は平均してGDPの9.6%であり、6%を下回ることは無かった。しかし、基礎的収支の赤字は1975年の8.6%をピークとして1989年には3.3%まで低下し、1997年には5.4%の黒字となった。
  • 戦間期の英国が財政黒字を計上したのは5年しかなく、その黒字額も小さかった。しかし、1920-1938年の間に基礎的収支は常に黒字だった。

このようなエピソードだけではなく、彼の以前の研究においても同様の結論が得られたという*1。その研究では、G7からフランスを除いた6ヶ国を対象に、1965-2008年の期間について統計的分析を実施し、インフレではなく基礎的収支の改善が債務低減には重要、という結果を導いている。

彼は一昨年のRGE Monitorでもその研究を紹介しているが、そこでは財政不均衡を示す指標を図示している(下図)。

これは財政均衡を取り戻すのに必要な税収増分のGDP比であり、プラスの方向に大きいほど基礎的収支が少なすぎることを示す。
この指標を用いて、財政不均衡の改善要因を分散分解により調べたところ、80-100%の要因は基礎的収支の改善だったという。それに対しインフレは0-10%に過ぎず、GDP成長も0-20%に留まったとのことである。また、この指標のインフレ予測能力を調べてみても、有意な結果は得られなかったという。


ちなみにスコットのこの分析結果は、Naked Capitalismの3/12エントリで紹介されている各論者の見解と整合的である*2。たとえばUBSのエコノミストPaul Donovanは、以下のインフレ率と債務GDP比変化幅との散布図を示し、第4象限(=高インフレ率+政府債務減少)にデータがあまり見られないことを指摘している。


スコットのvoxeuでの結論は以下の通りである(拙訳)。

政府はもちろん長期的な財政の債務履行能力に注意し、債務の安定化をどのように図るかについて明確に述べなくてはならない。しかし、何らかの期日までに特定の数値的目標を達成するように政府に強制するのは間違いだ。もし、さらなる外的ショックが加わったり、危機が継続したりした場合には、そうした目標は見直すのが最善となる。債務は政府がショックを緩和する手段である――前もって定めた財政目標を達成するために政策を変えるというのは、馬の前に荷車を置くようなものだ。現在の議論には、財政規律が善であるという枠組みでの主張が多すぎる。もちろんそれは善だ。しかし、市場、格付け会社財政タカ派といった人々には、政府債務の現在の高い水準は非常に長い期間続くこと、および続けるべきであること、そしてその調整には長期を要すること、を踏まえた現実的な議論をしてもらわねばならない。財政規律と債務履行能力は、数十年に亘る債務の上振れと相容れないものではない。マコーリーが痛烈に記したように、「債務が膨らんでゆくあらゆる段階で、賢者たちは破綻と破滅が間近だと真剣に主張した。しかし、債務は依然として膨らみ続け、破綻と破滅は依然として起こりそうになかった。」*3


アダム・スミスは債務が国家を衰弱させると警告したかもしれないが、彼は1776年には「大英帝国は、半世紀前には誰も可能だとは思わなかった規模の債務を易々と維持しているようだ」とも述べている。その数十年後には、債務はさらに膨らんだ。英国と米国の市場と政府は、非常に高い水準の債務を維持し続けた経験があり、もう一度それができる可能性は十分にある。

*1:該当論文は、NBERのサイトのものは要サブスクリプションだが、ここで見られる(ただし今はサイトが落ちている模様)。

*2:このエントリはワシントンブログのブログ主であるワシントンのゲストエントリ。その最後でワシントンは「...abolishing the central bank (or putting it within the Treasury department) and taking over the money and credit creation functions from the private banks may be an important part of the solution to our debt trap.」というChartalist顔負けの過激な主張を展開している。

*3:cf. ここ