コント:ポール君とグレッグ君(2013年第9弾)

お互いへの言及は無いが、期せずして話のピンポンが成立しているように見える(ただしマンキューの2番目のエントリは実際にクルーグマンのエントリへの当てつけを意識しているかも)。

グレッグ君
僕のハーバードの同僚のRaj Chettyが経済学は科学だと言っているね。
ポール君
Raj Chettyの言うように経済学は科学かもしれないが、多くの経済学者が科学者として振る舞っていないね。失業給付の延長が高失業率につながらない、というChettyの挙げた実証例を突きつけられて、ケイシー・マリガンが自分の過ちを認めると思うかね? まあ、ただ、失業保険の効果を理解するためには、マクロ経済で仕事の数が決定される文脈の中でそれを考えなくてはならないんだけどね。ちなみに、Raj Chettyの挙げた実証研究例では、失業給付の延長が人々の職探しの時間にほとんど影響しないとのことだったけど、逆の結果が出ていたら失業給付が雇用を損なうという結論になるのかね? 僕に言わせれば、それは違うね。今の経済は働く意思のある労働者の不足ではなく、総需要の不足が制約条件になっているのだから、労働者が仕事を選り好みするようになっても、雇用全体の状況には影響しないね。ミクロの結果をそのままマクロ経済上の帰結に結び付けるのは、自分は事実だけを見ていると思っている人が犯しがちな暗黙裡の理論化*1という古典的な間違いだね。
グレッグ君
新しいNBER論文では、大不況の継続的な失業増加の大部分が、失業給付の受給資格をかつてないほど延長したことで概ね説明がつく、と言っているね。その論文の要旨によると、これまでの研究が焦点を当ててきたミクロの効果ではなく、一般均衡のマクロの効果に焦点を当てたことにより、失業給付の延長に雇用創出がどう反応するかが定量的に非常に重要だということを見い出した、とのことだね。

*1:cf. この論文による“implicit theorizing”の説明:
Leontief had accused the “neo-Cambridge School” of “implicit theorizing.” By this he meant a process of introducing concepts without deriving them from clear and unambiguous axioms. In this way, criticisms of error can be evaded by a succession of subtle shifts in the meaning of particular terms because statements that cut out the logical steps by which they are derived from fundamental propositions can be restated as fundamental postulates which are then impervious to logical criticism (Leontief 1937).