FRBが長期の「インフレ目標」を2%に設定したわけ

昨日のエントリに対し

「通貨・国債・政府の信用を人為的に下降させたインフレが経済成長を約束させるのか」の反論になっていない。高成長期のインフレと同一視して良いのか。

誰も紙幣を使わない社会にも、国債の残高が限りなく小さな社会にも、好景気は存在する。言い換えれば、信用スプレッドはゼロ以下には潰れない。

というはてぶコメントを頂いたが、それらのコメントと小生の認識との最大のギャップは、流動性の罠をどう考えるか、という点にあるように思う。小生は、とにかく流動性の罠を抜け出すのが先決で、それを抜け出さなければ高成長もへったくれもない、だから取り合えずは脱出に傾注しよう、という認識を持っているのだが、上記のコメントを頂いた方々はそうした認識をお持ちでないように思われる。


その点についての小生の考えを思いつくままに箇条書きで並べてみる。

  • 頂いたコメントからは、インフレには貨幣とは無関係に決まる何らかの絶対的な基準が存在し、貨幣の信用度を変更してインフレを上昇させることは、測定尺度を変えることで測定結果を誤魔化しているに過ぎない、というニュアンスが伺える。従って、流動性の罠からの脱出を課題にするとしても、貨幣の信用度を人為的に上下させるのは邪道で、実体経済の健全化によって抜け出すのが筋、と考えておられるのかもしれない。しかし、インフレが実体経済の活動だけで決まることはなく、あくまでも実体経済と貨幣との相対関係で決まるもの――というか、相対関係そのもの――というのが小生の認識。よって、インフレの善悪に拘泥することにはあまり意味が無く、実体経済だろうが貨幣だろうが使える最も効率的な手段を使って問題解決を図るべき、というのが小生の考えである。
  • 昨日のエントリで引用したNick Roweは、「誰も紙幣を使わない社会」では流動性の罠は生じない、ということをかねてから主張している。昨日の引用部の「すべての財において全般的な過剰供給が起きるのは、交換の媒介への需要超過が原因であり、かつ、それが唯一の原因である」にもその主張は表れている。その主張を前提とするならば、流動性の罠はすぐれて貨幣的な問題、ということになる。
  • 例えば日本の高度成長期にも金融政策は存在したわけで、その時期も、経済成長を目的とした金利引き下げにより「通貨・国債・政府の信用を人為的に下降させる」ということは行われていた。しかし、流動性の罠の下では金利引き下げができないので、「他の手段をもってする貨幣の信用の喪失の延長」が必要になる、というのが小生の論点。貨幣と実体経済の相対関係という上述のインフレの定義からすると、両ケースのインフレを区別することにさほど意味があるようには思われない。
  • 金融政策によるインフレと好景気との関係について言えば、ここで論じたように、金融政策がインフレ期待の(プラスマイナスどちらの方向にせよ)行き過ぎや不安定化をもたらした場合、安定した経済成長は実現はできない、というのが小生の考え。その対偶を取れば、安定した経済成長を実現するためにはインフレ期待を安定させる必要がある、ということになる。上のコメンターの一人にリンクしていただいた22日エントリで紹介したイエレン講演では、その点に関連して以下のように述べている:

The specification of 2 percent as the Committee's longer-run inflation goal, as measured by the annual change in the price index for personal consumption expenditures (PCE), reflected careful deliberation. The Committee judged that the PCE price index is the most reliable measure of prices that are relevant for households and, in choosing the 2 percent goal, balanced two main considerations. First, any rate of price inflation, whether positive or negative, imposes some costs on society, making planning more difficult and creating distortions in the economy. Second, were the FOMC to aim for zero inflation to eliminate these costs, it would face greater difficulty in providing sufficient monetary accommodation in response to large negative shocks. With inflation at zero, the zero lower bound on nominal interest rates implies that real short-term interest rates cannot be reduced below zero. In contrast, with low but positive inflation, they can be. History has shown that sustained periods of even mild deflation can impose immense costs in terms of slow growth and high unemployment. Thus, balancing the goal of maximum employment against the costs of modest inflation, the Committee chose 2 percent measured inflation as the value it judged likely to provide an adequate buffer against costly deflations while keeping the costs of inflation quite small.
(拙訳)
個人消費支出の価格指数の年変化で測ったFOMCの長期的なインフレ目標を2%に設定したのは、慎重な検討に基づいている。FOMCは同価格指数が家計に関連する物価の尺度として最も信頼できると判断した。また、2%の目標設定に当たっては、2つの主要な考慮要因のバランスを取った。一つは、いかなる率の価格インフレも、正負いずれの方向であれ、将来計画を難しくし、経済に歪みをもたらすことによって、社会に何らかの負担を課す、ということである。二つ目は、そうした負担を無くすためにFOMCゼロインフレを目指したならば、経済への大きな負のショックへの対応として十分な金融緩和を行うのが難しくなる、ということである。インフレがゼロの場合、名目金利のゼロ下限は実質短期金利がゼロ以下に引き下げられないことを意味する。その一方で、低いながらも正のインフレの場合は、それが可能となる。たとえ緩やかなデフレでも、それが持続すれば、低成長と高失業という形で経済に大きなコストを課す、というのは歴史の教えるところである*1。こうして、最大雇用という目標と緩やかなインフレのコストとのバランスを勘案した結果、大きなコストをもたらすデフレへの適切なバッファを提供すると同時にインフレのコストを極めて小さく留めるであろうと判断した数値として、FOMCは2%という計測インフレ率を選択した。

――この直後に、22日エントリで引用した「長期的なインフレ率が金融政策のみによって決定されることに鑑みると、中央銀行はインフレの長期的水準を決定することができ、また、実際に決定すべきである」という言葉が続く。

*1:講演録の注記では、ここで(以前本ブログのこのエントリでもリンクした)2002年のバーナンキ講演にリンクしている。