俺たちに明日はない

FT Alphavilleのイザベラ・カミンスカが、金融危機実体経済の「大停滞」に起因する、という見方を10/3エントリで示している(本石町日記さんツイート経由の前日エントリ経由)。

You could say, the economic system in this way revolves around incentivising people to delay consumption in the hope that there will always be more tomorrow than today, but without a full guarantee that there will be.

If Martin Wolf’s column on Wednesday is right, however, we may now be slipping towards a world where we now hope to have the same tomorrow as we do today– on account of fundamental constraints such as resources and commodities, and the fact so much of our current output is being wasted.

That’s not to say we can’t have an abundant tomorrow, we can, it’s just that every time output is added to the system it can no longer come at the cost of resources. Thus more output can only be added to the economy if it’s linked to greater efficiency
(拙訳)
今日よりも明日は必ず豊かになるという見込み――完全な保証は無いが――の下、人々が消費を遅らせるように動機付けられることによって現在の経済システムは回っている、と言えるだろう。
しかし、もし水曜日のマーティン・ウルフの論説*1が正しければ、我々は今や、資源や原材料などの根本的な制約や、現在の産出のあまりにも多くが浪費されているという事実により、明日の豊かさが今日と同程度にしか見込めない世界に陥りつつあるのかもしれない。
そのことは、豊かな明日は訪れない、ということを意味するものではない。それは可能だ。ただ、今後の経済システムにおける産出の増加は、もはや資源を代償としたものではありえない、ということである。経済における産出の増加は、効率の増大と結び付くことによってのみ可能となる。


ミンスカは、消費を遅らせてより豊かな明日のために回す資金のことを「明日の貨幣(tomorrow money)」と呼んでいる。しかし、より豊かな明日が実際には来ないことが分かったら、その「明日の貨幣」は経済から引き揚げられてしまう。「明日の貨幣」は債券などの形態を取っているので、その際、必然的に「今日の貨幣(today money)」――今日の消費に充てられる貨幣――も巻き添えを食って減少する。そのため、今日の産出に対応する「今日の貨幣」は少なくなり、デフレのリスクが生じる、というのが、カミンスカの今回の危機のメカニズムの見立てである。


それに対し中央銀行は、量的緩和QE)で「今日の貨幣」を経済に注入してバランスを取り戻そうとしたが、以下の2つの理由でその試みはうまく行かなかった、とカミンスカは言う。

  1. 注入した「今日の貨幣」の大部分は、トランスミッション機構が機能しなかったために、産出に対する支出に回ることが無かった。それらは、ただでさえ減少しつつある「明日の貨幣」の安全資産(大部分が国債)をクラウドアウトするだけに終わった*2
  2. 「今日の貨幣」の注入は、民間銀行に新たな「明日の貨幣」を創造させることを狙っていたが、それらの銀行が収益が上げられないことを恐れたことと、そもそも需要が無かったことから、その目論見は失敗に終わった。


一方、政府も自らの「明日の貨幣」、即ち国債を発行することによって経済を支えようとしたが、財政は緊縮しなければ、という人々の妄執に足を掬われることになる。


そうこうするうちに、QEによる安全資産のクラウドアウト効果は激しさを増し、マイナス金利をもたらすようになる。また、需要不足が経済に重くのしかかり、会社は工場を閉め始める。


事ここに至ってFRBQE∞(QEternity)に乗り出した、というのがカミンスカのここまでの事態の推移の解説である。


このエントリを彼女は次のように締め括っている。

...the idea that the amount of stuff in the economy may be growing despite the industry’s best attempts to rein in output (because of technology advances) and you realise that we’re now potentially in a completely different balancing act.

An act focused on redeeming output purpose-lessly, cutting capacity to produce less stuff, becoming more efficient with the resources we have, discouraging saving and replacing private-tomorrow money with government tomorrow-money to avoid negative rates.

In other words, this is Japan.
(拙訳)
産業界が産出を抑えようと最大限の努力を払っているにも関わらず(技術進歩のために)経済における財の量が増え続けているということを考え合わせると、我々は均衡をもたらす要因が今までとはまったく異なる世界にいるのかもしれない、ということが分かる。
その要因とは、産出をただひたすら費消すること、財の生産を減らすために生産能力を削減すること、手持ちの資源をより効率的に利用すること、貯蓄しないことを奨励し、民間の明日の貨幣を政府の明日の貨幣で置き換えることによりマイナス金利に陥るのを防ぐこと、である。
言い換えれば、日本の状況、ということである。

*1:邦訳。似たような論考として、こちらで紹介したジャスティン・フォックスも参照。

*2:そうしたクラウドアウトの発生には準備預金への付利の影響も大きいと思われるが…。cf. ここ