金融政策が財政政策の助けを求める時

以前、Andy Harlessが、ノアピニオン氏のブログでサムナーを擁護しつつも、サムナーのブログでは、財政政策の意義をあまり軽んじ過ぎるのはいかがなものか、という問い掛けを発したことを紹介した。


今度は、ノアピニオン氏がその時のHarlessと同様の問い掛けを発している。それに対しHarlessは、金融政策が何らかの理由によって十分に徹底されないがために財政政策の出番が生じるというならば、その理由を明らかにすべき、とコメントし、その候補として以下の2つを挙げている:

  • FRBのバランスシートに最適サイズが存在し、それからの逸脱はコストを伴う(ひょっとしたら最適サイズはゼロで、ある程度ドルを流通させることの便益が、その最適サイズからの逸脱を大きく相殺しているのかもしれない)。
    • おそらくバーナンキの考えはこれ。
    • FRBがリスク資産を買い込んでいる時には特にこの話は意味を持つ。というのは、そのリスク資産の損失によって見掛け上FRB債務超過となり、将来のインフレに対処する柔軟性が失われる(∵FRBが流通させるベースマネーに下限が設定される)可能性が存在するからである。
  • 金利に最適水準が存在し(ただし自然利子率[これは時系列的に変動する]ではなく、天下り式に与えられる最適水準)、それからの逸脱はコストを伴う。
    • この考え方には一理ある。
    • 金利が低過ぎると、将来キャッシュフローの割引価値が期待成長率に過度に敏感になり、資産価格が不安定化する。金利が高過ぎると角が立つ。とかくに人の世は住みにくい。従って財政政策は、自然利子率を最適金利水準に近付けることを目的とすべきである。