コント:ポール君とグレッグ君(2011年第11弾)

格差と教育の関係についてマンキューがクルーグマンに噛み付いた。

グレッグ君
所得の格差拡大を教育と絡めて考えるのは間違いだというここここでのポール君の主張には首を捻ったね。彼に言わせれば、所得格差はオリガルヒの影響力増大が原因であり、所得の増加が例の上位1%に集中しているのがその証拠だというのだが、それが教育は無関係という話とどうつながるのか最初分からなかった。

そこでハタと気付いたのが、ポール君が教育の見返りは確定関数的だと暗黙裡に仮定している、ということなんだ。確かに、学校での1年が正確に収入の10%の増加につながるのであれば、教育期間を数年延ばしたところで中流階級から上位1%に移れるはずもない。

でも、教育は確率関数的だと考えた方が良いと思う。教育は個人所得の平均を上げるだけでなく、人生を通じた分布全体を変えてしまうんだ。教育は上位1%入りを保証するわけではないが、その可能性を高める。データで確認したわけではないが、上位1%が平均的米国人より教育程度が高いことは賭けても良い。教育が彼らの経済的成功を確実にしたわけではないが、一定の役割は果たしたんだ。

例を挙げてみようか。僕は余裕で上位1%に入っているし、ポール君も入っていると思う。彼はプリンストンの教授だし、タイムズのコラムニストだし、講演料もあるし、そこそこ成功した教科書も書いているしね。証明はできないけど、彼や僕が高卒で終わっていたら、所得分布における今の位置からは遥か下にいたと思う。それが正しいとしたら、オリガルヒの影響力増大とやらに焦点を当てるよりも、教育が鍵だと考えるべきじゃないかな?

僕がそこで教育が重要だと考える理由の一つは、上位1%の所得シェアが1970年代から今日に至るまで大きく増えたのが、労働経済学者の報告する教育の見返りの増加と軌を一にしているからなんだ。両者がたまたま同時期に増えただけ、という可能性も勿論ある。しかしタイミングを考えると、教育の価値増大と上位1%の所得シェア増大は関連していると考えるべきだと思う。

追記:昔の関連ポスト