この惑星では金融政策に限界がある・続き

昨日紹介したスティーブ・ワルドマンのエントリで、彼が「統治構造や責務の変更無しには、FRBが近い将来に名目GDPや物価水準を目標とする見込みは無い」と述べたのに対し、Andy Harlessがコメント欄で以下のように反論している。

That may be true, but I think the only coherent interpretation of the current mandate is that it requires the Fed to do NGDP targeting or something similar. And as I (and others) have pointed out, NGDP targeting is a special case of the “Taylor rule” approach that the Fed appeared to be following prior to 2008. It’s very hard to justify the past 3 years of policy in terms of the Fed’s current mandate. The law is the law, and whatever traitors like Rick Perry and Ron Paul (may they both be hanged!) may say, I don’t think it’s inappropriate to be upset when the Fed fails to follow current law.
(拙訳)
それはそうなのかもしれないが、しかし現行のFRBの責務に対する唯一の整合性のある解釈は、その責務は名目GDP目標ないしそれに類似した政策の実行を要求している、ということだと思う。そして私(や他の人々)が指摘したように、名目GDP目標は、FRBが2008年以前に従っていたと思われる「テイラー・ルール」アプローチの特殊ケースなのだ。FRBの現行の責務に照らして過去3年間の金融政策を正当化することは非常に困難である。法は法であり、リック・ペリーやロン・ポールのような裏切り者(両名が縛り首になりますように!)が何を言おうとも、FRBが現行の法を遵守できなかったことに憤慨するのがおかしいとは思われない。


これに対しワルドマンは以下のように返答している。

You’ve every right to be upset. Your interpretation of current law is certainly reasonable, but it is not undeniable. So long as there is significant ambiguity in the Fed’s mandate, how it will be interpreted is a political question. NGDP targeting likely implies at least periods of “catch-up” inflation during which creditors have to give back windfall disinflation gains, and perhaps implies occasional unanticipated inflation, when RGDP proves unable to follow close behind the target. Creditors and banks have every reason to prefer a memory-less, disinflation-biased price stability commitment. If we want NGDP targeting, we will have to unambiguously make that the Fed’s mandate, or else generate external political pressure sufficiently string to counter the Fed’s bank-centric governance structure. (Alternatively, we could change the Fed’s insular, bank-dominated, anti-democratic governance structure.)

In human affairs, being right and being relevant are very different things. Economists as a group often treat the Fed as though it were different, like some kind of disinterested court of macroeconomic affairs. That is and has always been incredibly naive.

So be upset. And play hardball. You don’t have to persuade Ben Bernanke. He would already agree with you, if he were not in a stuck in a political context where he cannot agree with you. It’s not his mind you have to change but his circumstance.

(拙訳)
貴兄が憤慨するのは尤もである。貴兄の現行法の解釈は確かに合理的ではあるが、しかし否定の余地が無いわけでは無い。FRBの責務に顕著な曖昧さが存在する限り、その解釈はすぐれて政治的な問題である。名目GDP目標には、少なくとも何期間かの「キャッチアップ」インフレが起きるであろうという含意があり、その期間中は債権者はデフレで棚ぼた的に得た利得を返さなくてはならない。また、実質GDPが目標から乖離する際には予期せぬインフレが時折発生するであろうという含意もある。債権者と銀行には、経路依存的でないインフレ抑制的な価格安定政策を好む理由が大いにある。もし名目GDP目標を実現したいならば、それを疑問の余地の無い形でFRBの責務とするか、あるいはFRBの銀行中心的な統治構造に対抗できるだけの強力な*1外部からの政治的圧力を生み出さなくてはならない。(あるいは、FRB島国根性的で銀行に支配された非民主主義的な統治構造を変えなくてはならない。)
世事においては、正しいことと適切なことはまったくの別物である。経済学者は総じて、FRBを特別な組織、マクロ経済学の諸事に関する公平な裁判所であるかのように扱ってきた。それは、これまでも今も、あまりにもナイーブな考え方だ。
だからどうぞ憤慨してください。そして攻撃的になってください。貴兄はバーナンキを説得する必要はない。彼は既に貴兄に同意していたことだろう、同意しないことを余儀無くさせる政治的環境に雁字搦めになっていなければ。貴兄が変えなくてはならないのは彼の考えではなく、彼が置かれている環境なのだ。

ちなみにFRB(もしくは財務省)が銀行寄りであるがために思い切った金融政策(もしくは財政政策)を取れない、というワルドマンの見解については、本文では以下のような記述が見られる。

To the degree that our problem is on the demand-side and stems from private-debt-overhang-induced risk aversion or a desire to hoard money, we know the solution. That problem, if it exists, will go away if we give everyone money. But giving everyone money is not conventional, authorized, monetary policy. It requires new law. Politically, the law it requires would be hard law, because it shifts the distribution of risk in our very unequal polity. If we were to give everyone $20,000 tomorrow, whether it’s Ben or Timothy signing the checks, debt-overhang goes away as a macroeconomic concern. I believe, to some degree, in the demand-side story, so I’d wager that real GDP and employment would rise as well. But we would risk a step up in the price level, and therefore a devaluation in real terms of fixed-income claims and bank equity. Under status quo policy stagnation, near-term macroeconomic risks are borne primarily by the poor and marginally employed. With demand-side stimulus, whether designed by Scott Sumner via the Fed or Matt Yglesias via the Treasury, those risks would shift to financial savers, who in aggregate hold the bulk of their portfolio in the form of fixed-income securities, and who also hold the testicles of members of Congress.
(拙訳)
我々の問題が需要サイドにあり、民間のデット・オーバーハングに起因するリスク回避行動や貨幣を溜め込もうとする行動によってもたらされたのだとすれば、その解決法は既知のものである。もしそうした問題が存在するのであれば、皆にお金を配れば解決する。しかし、皆にお金を配るのは、伝統的な公けに認められた金融政策ではない。それは新しい法律を必要とする。政治面を考えれば、そこで必要とされる法律は強制力を持つものとなろう。というのは、我々の非常に不平等な体制におけるリスクの配分を変更することになるからである。我々が明日皆に2万ドルを配れば、その小切手がベン(・バーナンキ)が署名したものであれティモシー(・ガイトナー)が署名したものであれ、マクロ経済的な意味でのデット・オーバーハングは消滅する。私自身、需要サイドがそれなりに問題だと思っているので、そうなれば実質GDPと雇用も上昇するということには賭けても良い。しかし、同時に価格水準が切り上がっていく可能性もあり、そうすると固定金利の債権や銀行の自己資本は実質ベースで切り下がっていくことになる。現在の政治の停滞状況においては、短期のマクロ経済的リスクは、貧困層ややっと食いつないでいる人たちによって主に担われている。需要面の刺激策を採った場合、それがスコット・サムナー型のFRB経由のものであれマット・イグレシアス型の財務省経由のもの*2であれ、そうしたリスクは金融貯蓄者に移行する。彼ら貯蓄者たちは全体として、ポートフォリオのかなりの割合を固定金利証券で保持しているのだ。彼らはまた、国会議員たちの首根っこを押さえている人たちでもある。

この記述についてデビッド・ベックワースが、景気が良くなれば結局は貯蓄者も潤う、とコメント欄で指摘している。それに対しワルドマンは、貿易の喩えを持ち出し、貿易で全体のパイが増えてもそれにより損をする人がいるように、需要政策でも皆が得をするとは限らないのだ、と反論している。

*1:stringはstrongのtypoと見做した。

*2:cf. この前段でワルドマンはイグレシアスのこのエントリにリンクし、(拙ブログで以前紹介した)MMTerのアイディアのリフレイン、と評している。