デロングが、以前ここで紹介した計算を繰り返したエントリをブログの最上段に掲げ、緊縮策が却って財政赤字を拡大させる危険性について強く警告している。
そこでふと、今週目にした5年ほど前の小黒一正氏の論文*1(H/T wrong, rogue and booklog)に、このデロングの考え方を適用したらどうなるだろうか、と考えてみた。
小黒氏の論文では、金利と成長率の比を確率変数と見做し、その変動による債務GDP比率の変化をシミュレートしている。そして、債務GDP比率が一定値に達したらそこで財政破綻と見做す、という仮定の下で、その破綻確率を計算している。いわば、債務GDP比率をノックアウトオプションに見立てているわけだが、ただし、その「権利行使価格」は何らかの推計で導き出したというよりは、2.5や3といった数値を試しに当てはめてみている、という感じになっている。
とりあえずExcel上で小黒氏のシミュレーションを再現できないかと試みたところ、以下のように論文の図表8の結果を概ね再現することができた(推計方法の詳細は後述)。ただし、推計された確率は小黒氏のものより平均して3%ほど低めになっている。
上図のように、小黒氏の論文ではプライマリーバランス(PB)のGDP比が一定値(-3%〜3%の1%刻み)で固定された場合の推計を行っており、PBを黒字に維持した場合は破綻確率が下がる、としている。しかし、ここではデロング(や彼がリンクしているクルーグマン)が指摘したような、財政緊縮が成長に与える効果が考慮されていない。そこで、以下では、PBのGDP比×乗数分だけ成長率を悪化させる効果が働くものとして、乗数=1、0.5、0.1の各ケースについてシミュレーションを行ってみた。なお、いずれの場合も、比較対象として乗数=ゼロのケースも同時に実施している。
これを見ると、乗数=1の場合の変化は劇的であり、結果が完全に逆転する。即ち、PBをプラスに維持するほど破綻確率が高まり、PB=3%の黒字を維持すると、25年以内に確実に破綻する。その反面、PB=-3%の赤字の場合の破綻確率はゼロとなる。
乗数を0.5まで半減させても、その傾向はほぼ同じである。
さらに、乗数=0.1まで下げた場合でも、PB=-3%の赤字の破綻確率は概ね半減する一方で、PB=3%の黒字の破綻確率は(d=3&T=25の場合を除き)10%ポイントから20%ポイント増加する。その結果、T=50年以上では、破綻確率のPBによる差は小さなものとなっている。
このようにGDPの0.1%台という僅かな悪影響でも債務比率の行方に大きな変化をもたらすことを考えると、とにかくプライマリーバランスをプラスにするべきなのだ、という議論を額面通りに受け止めるのには慎重になるべきかと思われる。まずは何らかの形で乗数を考慮しないと、正確な評価は難しいものと思われる。
もちろん、パラメータ推計の元のデータではPBが赤字基調だったのだから、成長率にはそうした効果が既に織り込まれているのだ、という議論もあろう。ただ、その場合は、PBを黒字にした場合のGDPへのマイナスの影響がよりきつくなる可能性を孕んでいることになるとも言えるだろう。
以下は数学付録。
数式
小黒氏の論文から債務比率を決定する数式を抜粋すると以下の通り(論文の(2)式;ただし、Btはt時点の期末の公的債務残高,YtはGDP、stはプライマリー・バランス、rtは長期金利、gtは成長率)。
ここで小黒氏は Xt ≡(1+ rt)/(1+ gt)と置き、このXtが以下のAR(1)過程に従うことを仮定している(論文の(3)式;ただし、ρ、σ、εtはそれぞれ自己相関係数、標準偏差、正規乱数を表す)。
logXt-1 = ρXt +σεt
また、BT/YTをdという記号で表わしている。
Excelの入力
今回は、以下のような形でExcelでシミュレーションを行った(正規分布の乱数の生成方法についてはこちらを参照した)。
変数 | s/Y | X | PB項 | 初期債務項 | d |
---|---|---|---|---|---|
Excelの行/列 | A | B | C | D | E |
2 | 適当な初期値 | 0.9845 | (空白) | 1.631 | =D2 |
3 | =IF(E2<0,0,$A$2) | =EXP(0.8122*LN(B2)+0.0241*SQRT(-2*LN(RAND()))*SIN(2*PI()*RAND()))*(1+A2*$F$2) | 0 | =D$2*PRODUCT(B$2:B2) | =-A2-C3+D3 |
4 | =IF(E3<0,0,$A$2) | =EXP(0.8122*LN(B3)+0.0241*SQRT(-2*LN(RAND()))*SIN(2*PI()*RAND()))*(1+A3*$F$2) | =B3*C3+B3*A2 | =D$2*PRODUCT(B$2:B3) | =-A3-C4+D4 |
4行目のセルを102行目までオートフィルすると、T=100までの債務が計算される。
その上で、以下のマクロを実行する(乗数はこの中で指定している)。
For j = 0 To 6 For k = 0 To 1 Range("F2").Value = k * 0.5 '乗数 For i = 1 To 1000 'シミュレーション回数 Range("A2").Value = (j - 3) / 100 'PB Cells(i + 2, j * 6 + 7 + k).Value = Range("E27").Value '25年 Cells(i + 2, j * 6 + 9 + k).Value = Range("E52").Value '50年 Cells(i + 2, j * 6 + 11 + k).Value = Range("E102").Value '100年 Next Next Next
するとG3:AV1002の範囲にシミュレーション結果が表示されるので(42列。PBが7ケース(-3%〜3%)×Tが3ケース(25、50、100)×乗数有り無しの2ケース)、それぞれのケースについて「=COUNTIF(G3:G1002,">2.5")」といった形でdが上限を超えた割合を計算する。
Xt一定の場合のd
上の債務の決定式で、Xt ≡(1+ rt)/(1+ gt)に不確実性が無く一定値Xであるとし、かつ、st/Ytも固定値s/Yだとすると、同式は以下のようになる。
この式からは、T年後の債務比率dがdeterministicに決定できる。そこで、PB/GDP=-3%と3%の各ケースについて、乗数=1の場合のdを計算してみたのが下図である(ここでは上式の第一項をPB分、第二項を初期債務分として内訳も示している)。
*1:[2021/5/19]リンク先を無効になったhttp://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron163.pdfから修正。