コント:ポール君とグレッグ君(2011年第7弾)

久々に両者の間でラリーが見られた。

ポール君
共和党がブードゥー経済学に丸ごと教化されたという光景には驚くべきものがあるね。レーガン時代の減税が歳入増加をもたらしたという戯言を今や公けに信じなくてはいけないみたいだ。まあ、それはそれとして、連邦政府の歳入の歴史をちょこっとおさらいしておこう。

好景気時には歳入が増加し、不景気時には減少することは誰もが知っている。だから景気の山同士を比較することが役に立つ([トルストイ流に言えば]幸せな経済は皆似たようなものだが、不幸な経済はそれぞれに不幸なので、谷よりは山の方が良い、というわけだ)。ただ、1979-82年は二番底をつけた単一の景気後退なので、80-81年のいわゆる“景気回復”は無視し、1979年だけを見ることにする。

ということで、連続した景気の山の間の一人当たり実質連邦歳入の伸びをグラフで比較してみると、レーガンの歳入の奇跡なんてものが存在しなかったことが分かる。1979年から1990年の伸び率は、その前の1973年から1979年の伸び率よりもむしろ鈍化している。クリントン時代の1990年から2000年は確かに奇跡と呼べる。そしてブッシュ二世の2000年から2007年は逆の意味で奇跡が起きている。

     


グレッグ君
ポール君がレーガン時代には歳入の伸びの奇跡など無かったと書いているけど、実はこの件では僕は同意見だ。僕は包括的減税が税収を増やすというサプライサイド経済学の話にも懐疑的だ(ただ、ポール君と違って、減税は重要な動学的効果を生み出すので、静学的な推計に見られるほど費用の高いものだとは思わない)。

ただ、ポール君のブログポストで驚くのは、説得力にまったく欠ける点だ。景気循環で調整しなくてはならないということでレーガン時代の開始期を1979年にしたチャートを描いているが、それに納得する人がいるのかね?

ここで検証されている帰無仮説は、レーガンの政策が歳入の伸びに有意な影響を与えた、というものだ。しかしその帰無仮説の信者の中に、カーター政権の最後の2年がレーガン時代の一部だと言う人がいるのかね? その2年間の政策こそまさにレーガンがひっくり返そうとしていたものでは無かったのかね? ポール君のチャートは彼に既に同意している人に訴求するのかも知らんが、経済学者がデータに頼るのは態度未定の人を説得するためだと僕は思っていたんだけどね。こうした形でのデータの提示が態度を決めかねている人を動かすと思うのはちと難しいわな。

最後に一言。ポール君が「クリントンの奇跡」と呼んだものは、別名を「インターネットバブル」とも言う。
ポール君
おや、グレッグ君が馬鹿のふりをしているね。本当はもちろん僕の日付の選定理由を完全に理解しているはずなのに。前回トルストイなんかを持ち出して説明したんだが、分からない人もいたかもしれないので、もう一度説明しておこう。

歳入に最大の影響を与える単一の事象は景気循環だ(流動性の罠に嵌った状況下で緊縮政策が財政赤字削減に無効なのもそれが理由だ)。そして通常時の景気循環は、政府のするどんなことよりもFRBのすることに左右される(これも流動性の罠では話が違ってくるんだけどね)。ということで、景気循環からの推計がまずすべきことになる。その際、景気の山同士を比較するのが一番簡単な方法だ。とりあえず完全雇用になっている状況同士の比較、ということだ。完全雇用の程度は山によって違いはあれど、その差はたかが知れている。ところが景気の谷での経済の深刻度はもっとばらつきが大きい。それが前回アンナ・カレーニナを持ち出した理由さ。

山と山との間の補間は多くの分析で標準的な手続きになっている。FRB稼働率推計しかり、社会保障庁の長期予測しかり。というわけで、僕も歳入の分析で使ってみた。そして、景気の山は必ずしも大統領の任期と対応しない。だから何だって言うんだい? 要は、レーガン=ブッシュ時代の山をカーター時代の山と比較して霊験あらたかなことが何も見えないならば、レーガンの奇跡とやらは非常にちんけなものだった、ということさ。
グレッグ君*1
ポール君は僕が「馬鹿のふりをしている」とか言っているけど、そうじゃない。実はこの件に関して僕とポール君の見方は一致しているんだが、それとは違う見方を持つ人のふりをしたんだ。見方が違う人を「馬鹿」呼ばわりするのはどうかと思うね。主張と証拠を提示する際は、相手の視点からものごとを見るようにするべきだと思う。独善に陥ることがより少ないそうした手法の方が、味方を得やすく人々に影響を与えやすいと思うんだけどね。

*1:最初のエントリの追記。