針一本火事の元

一週間ほど前に、ネットでちょっとした炎上騒ぎがあった。といってもこちらの話ではなく、David Andolfattoが自ブログMacroManiaのあるエントリで炎上を招き、当該エントリを削除する仕儀に至った、という話である*1


Andolfattoと言えば、クルーグマンに対する歯に衣着せぬ言動で知られているが、そのエントリで彼が批判したのはケインジアンでもリベラル派でもなく、むしろその対極に位置するリバタリアンロン・ポール下院議員であった。ポールは、FRBが設立された1913年以降インフレで1ドルの価値が約20分の1にまで低下したのは政府とFRBによる簒奪だ、と著書「End the Fed」で述べたのだが、それに対しAndolfattoは、物価と並行して名目賃金が20倍になったのをポールは見落としている、と指摘した。だが、その指摘に際し、ポールをpinhead(=ばか)呼ばわりしたことが彼の支持者の怒りを買った。その結果、何百という批判メールを受け取り、その反応に恐れをなしたAndolfattoが当該エントリを取り下げた、というわけである。


この一件で皮肉なのは、Andolfatto自身は、少なくともクルーグマンやデロングよりは思想的にポールに近い点である*2。しかし、現在セントルイス連銀で働いていることもあり、批判者からはFRBの代弁者と見做されて攻撃を受ける羽目となった。彼としては、たまたま今はそこで研究を行っているだけであり、経済学者としての立場は独立している(しかもアメリカ人ではなくカナダ人だし)、というスタンスを取っているのだが、そうした姿勢は批判者には通用しなかったようだ。

*1:ただしクロスポストしたこちらのサイトのエントリは残っている。

*2:後続のエントリでは、自分は最初のエントリに書いた通りリバタリアンの哲学を評価しているし、中央銀行制度をそれほど絶対視はしていない、という旨のことを書いている。ちなみにかつてAndolfattoとちょっとした軋轢を起こしたMark Thomaは、この一件を特に論評も加えることもなくEconomist's Viewで紹介した後で、自分は中央銀行制度派だ、とだけ述べている。