ハイエクvsケインズ:スキデルスキーのまとめ

今日は再びソロスの新経済理論研究所(Institute for New Economic Thinking)の今年4月のカンファレンスに舞い戻り、その中のスキデルスキーの論文においてまとめられたハイエクケインズの主張の違いを紹介してみる(H/T VOX Watcherさん)。

大恐慌の前に問題点をそれぞれ予言
ハイエク
1927年7月に始まったFRBの金融緩和政策が、好況を本来よりも2年余計に長引かせたため、信用創造による証券や不動産への過剰投資が崩壊を招くだろう、と1929年の春時点で予言。
ケインズ
資産バブル退治のために1928年に始まったFRBの金融引き締め策が、新規投資の抑制を通じて不況をもたらす危険性を1928年秋時点で警告。貯蓄は豊富でインフレ懸念は無い、と主張。


ハイエクにとっては「貯蓄を伴わない投資」が問題だったが、ケインズにとっては「投資を伴わない貯蓄」が問題だったのだ、とスキデルスキーは評している。ただ、両者とも「貯蓄」と「投資」の定義が曖昧だったため、メッセージがうまく伝わらなかった、ともスキデルスキーは指摘している。


大恐慌の分析
ハイエク
貯蓄に支えられていない投資が問題なのだから、政府が資金を経済に流し込むのは逆効果。人々がもっと貯蓄するのが解決策。
ケインズ
1927-8年の物価指数の安定が「利益のインフレ」を覆い隠していたことを認めると同時に、不動産や株式への投機が、企業の貯蓄に比べた投資不足の傾向を隠していたと主張。1929年までに米国企業が建て替えの必要の無い工場のために引き当てた準備金の蓄積は非常に巨額だったので、それだけで不況を引き起こすのに十分だった、と指摘。一旦金融市場が崩壊してしまうと、「心理的」貧困が人々の心に忍び込み、支出を止めさせてしまう、と説明。


自然治癒に任せるというハイエクの処方箋のアキレス腱は、政治的に受け入れ難かったことだ、とスキデルスキーは指摘している。
また、ピエロ・スラッファは、信用創造に支えられた生産と、自発的貯蓄に支えられた生産をハイエクのように区別することの愚かさを指摘した、という。というのは、信用が一旦創造されてしまえば、それを受け取った側での自発的貯蓄が可能になるからである。
さらにケインズは、ハイエクケインズ自身の理論は異なる分野を扱っている、と指摘した。ハイエクの理論は「自然」利子率の変動を扱った動的均衡理論であるのに対し、ケインズの理論は市場利子率が「自然」率から乖離する状況を扱う不均衡理論である、というわけだ。
ハイエクの理論は、いわば今日のリアル・ビジネス・サイクル理論の先駆けだった、とスキデルスキーは評している。一方、ケインズは、「自然利子率」を、有効需要と唯一の完全雇用均衡と「不完全雇用均衡」の可能性、という組み合わせに置き換えることにより、理論を論争の泥沼から脱出させた、とスキデルスキーは指摘している。


●スキデルスキーによる今回の大不況への両者の見解の当てはめ
ハイエク的見方
外部的要因、具体的には2000年代前半の過剰な金融緩和が問題を引き起こしたという「money glut」解釈。
ケインズ的見方
「投資を伴わない貯蓄」を問題視する「saving glut」解釈。即ち、東アジア諸国が貯蓄を積み上げたのに対し、それに見合うだけの「真の」投資が実は無かった。