というエントリをバークレー・ロッサーがEconospeakに書いている(原題は「Does The 1920-21 Recession Really Prove That Laissez Faire Saves Us From Recessions?」)。
ここで彼は、1920-21年の不況は、当時のハーディング大統領が何もしなかったために比較的短期間で終了した、という保守派の通説に挑戦している。ちなみにそうした保守派の通説は、1929年にはフーバー大統領が賃金の下落を押し留めたため、大恐慌の到来を招いた、という説と良くセットになっている*1。
ロッサーの論旨は概ね以下の通り。
- 1920-21年の不況は確かに奇妙な不況だった。1920年には第一次世界大戦の復員兵の労働市場への復帰圧力が最高潮に達し、同時に戦争終結に伴う在庫調整も経済を直撃していた。そのため、年間の物価の下落幅としては米国史上最大を記録することになった(ソースによって異なるが、大体13-18%の間)。
- しかし、通説と異なり、全米産業審議会(National Industrial Conference Board)のデータによると、賃金は下落していなかった。1920年に賃金は小幅上昇し、1921年も同様だった。1921年7月に失業率はピークに達したので、その年が不況のどん底だったと言える。確かに1922年には賃金は8%下落しているが、それは1921年後半に景気が上向きに転じた後であり、また、翌年には賃金は再び上昇している。
- 財政政策について言えば、ハーディングが何もしなかったというのは本当。名目GDPが1920年から1922年に掛けて884、736、734億ドルと推移したのに対し(ただしデフレのため1921年から1922年に掛けて実質GDPは上昇した)、財政支出は114、105、93億ドルと低下していった。
- しかし、通説では無視されているが、金融政策による対策は実施されていた。確かにフリードマン=シュワルツが批判したように、1913年に創設されたばかりで当時まだ未熟だったFRBは、1919年に公定歩合を引き上げ始め、1920年6月には7%にまで引き上げた。そして、1920年は前述の通りデフレが悪化し、経済は低迷した。それに驚いたFRBは、失業率がピークに達した1921年7月以降は方針を転換し、毎月0.5%ずつ引き下げていき、11月には4.5%まで下げた。これはFRBが金融刺激策を取ったことを意味しているが、それが不況脱出の大きな要因になった。反面、その間の実質賃金は物価低下によってむしろ上昇していた。これは保守派の通説に反する。
なお、このエントリのコメント欄では、Jazzbumpaというコメンターが、そもそも1920-21年の不況と1929年の大恐慌では経済環境が大きく違っていたとして、以下の相違点を挙げている。
- 1920年の不況の前は財政赤字だったのに対し、1929年以前は財政黒字だった。
- 1920年の不況の前は高インフレだったのに対し、1929年以前はインフレは無かった。
- 1920年の不況の前は戦争があったのに対し、1929年以前は平和が続いていた。
- 1920年の不況はおそらく輸出の力強さによって和らげられた。
- 1920年の不況時にはゼロ金利に近づくことは無かった。
- 1920年の不況時には金本位制は実施されていなかったのに対し、1929年には実施されていた。
- 1920-21年はデフレは米国の局所的な現象だった。欧州はインフレを経験しており、オーストリアはハイパーインフレを経験していた。1929年の大恐慌時にはデフレはほぼ全世界的な現象だった。
Jazzbumpaはまた、1920-21年の不況は供給超過だったのに対し、1929年の大恐慌時は(今日と同じく)需要不足だったのだ、ともコメントしている。