名目賃金の下方硬直性による失業は自発的失業か?−補足

昨日のエントリを書いた後で、テイラーの非自発的失業に関するNew Palgraveエントリがネットで読めることをVOX watcherさんのツイートで教えて貰った。それを読むと、昨日のエントリと被る話が幾つか見られるので、以下、思いつくままにピックアップしてみる。

Keynes excluded frictional unemployment from involuntary unemployment. However, it is important to note that Keynes also excluded unemployment "due to the refusal or inability of a unit of labor, as a result of legislation or social practices or of a combination for collective bargaining or of a slow response to change or of mere human obstinancy, to accept a reward corresponding to the value of the product attributable to its marginal productivity." (Keynes, 1936 p.6). Thus, Keynes chose to exclude union wage differentials as well as minimum wage legislatian as sources of involuntary unemployment. Cleary, Keynes wanted to focus on a particular type of involuntary unemployment.
(拙訳)
ケインズは摩擦的失業を非自発的失業から除外した。また、ケインズが、「法律や社会慣習、集団交渉のための団結、変化への対応の遅れ、単なる頑固さなどから、労働単位が、限界生産力による製品の価値に応じた報酬の受け取りを拒否することによる*1」(ケインズ、1936、p.6)失業も除外したことは特筆しておくべきである。つまりケインズは、組合賃金の格差や最低賃金法を、非自発的失業の原因からは除外することにしたわけだ。明らかに、ケインズは、特定の種類の非自発的失業に焦点を当てたがっていた。

ここでテイラーが引用した一般理論の一節は、第二章第一節の中盤のものであるが、昨日紹介したワルドマンの引用部分と同様、古典派の雇用理論をケインズなりに解説した文章の中の一節である。従って、それをそのままケインズ非自発的失業観と受け止めるのはやはり違うのではないか、その点でテイラーはワルドマン=サムナーと同様の誤謬を犯しているのではないか、というのがこの文章を読んだ小生の感想である。
ただし、最後の「ケインズは、特定の種類の非自発的失業に焦点を当てたがっていた」という一文は当を得ていると思う。それは小生が昨日のエントリの脚注で

自発的/非自発的以前に、そもそもケインズ名目賃金の下方硬直性と失業との関連に否定的である。失業との関連で重要なのは実質賃金であるが、それは物価水準という労働者の手の届かないところで決まってしまう、というのがケインズの第二章での主たる主張だからである。

と書いたことに符合する。


なお、テイラーは、

Although the many connotations of the term involuntery may cause semantic difficulties (as may other concepts in economics such "rational" or "marginal"), focusing on the technical definition given above would seem to avoid these difficulties.
(拙訳)
非自発的という言葉の様々な含意が意味論的な困難を引き起こすかもしれないが(それは「合理的」や「限界」といった他の経済学上の概念も同様である)、前述の技術的定義に立脚するならば、そうした困難は避けられるものと思われる。

とも書いている。ここでテイラーが「意味論的な困難」と呼んだものは、まさに齊藤誠氏がこのエッセイ

私の論点は、経済学的な主張にあるのではなく、「非自発的」、あるいは、「自発的」の語感にかかわる問題というか、セマンティックなものです。

と書いたことに相当する。しかしその点についてテイラーは、他の経済学用語も同様*2、と軽くいなした上で、技術的定義に立脚すればそれは問題とはならない、と一蹴している。こうした立場は、あくまでもケインズの打ち出した定義に立脚して非自発的失業を論じた小生の昨日のエントリと符合するように思われるので、大いに同意するところである。


その反面、テイラーは、ケインズの定義を小生ほど割り切って捉えていないようである。一方で彼は、小生が昨日引用したケインズの定義

名目賃金に比べた賃金財価格の少しの上昇で、現行名目賃金で働く意思のある労働者の総供給とその賃金での労働者の総需要の双方がともに現行の雇用(=労働)量より大[き]くなっているのに失業している人を「非自発的失業者」というのである。

を、「この定義からは、労働の供給曲線から外れた点を明確に思い浮かべることができる*3」と称賛しておきながら、他方で、「ややこしい定義により論争の火種を残した*4」と批判しているからである。

より具体的には、ケインズには定義と理論の混同が見られる*5、とテイラーは批判している。彼に言わせれば、労働者は物価上昇による実質賃金低下は受け入れるが、名目賃金低下による実質賃金低下は受け入れない、とケインズは定義に記している、とのことである。ただ、上の引用部分にはそこまでの記述は無いので、それはやや深読みに過ぎる気がする*6。定義と理論を混同したのは、むしろワルドマンやサムナーやテイラーのような後世の読み手たちではないか、というのが、このテイラー批判に対する小生の率直な感想である。

*1:ここの一般理論からの引用部分は、またtomokazutomokaz氏の訳を利用させて頂いた。

*2:これにはテイラーの挙げた「合理的」や「限界」のほか、「均衡」や「長期均衡水準」も含めて良いのではないか。

*3:「One can clearly envisage a point off the labor supply curve from this definition.」
ちなみにテイラーはこのNew Palgraveエントリの冒頭で、非自発的失業を以下のように定義している。
The most common and analytically useful definition of involuntary unemployment is based on the labor supply curve. If workers are off the labor supply curve -- so that there is an excess supply of labor at the current real wage, then by definition, there is involuntary unemployment.
(拙訳)非自発的失業の最も一般的かつ分析上有用な定義は、労働の供給曲線に基づいている。もし労働者が労働供給曲線から外れており、そのため、現行の実質賃金で労働の超過供給が存在するならば、定義により、非自発的失業が存在する。

*4:「In the General Theory Keynes presented a more convoluted definition of involuntary unemployment, and this has been a fourth source of controversy.」ここでfourthと書いているのは、テイラーの挙げた非自発的失業に関する批判の四つ目を意味している。批判の一つ目は(前述の)意味論的な困難、二つ目は計測(ないし実務での使用上)の困難、三つ目は静学的かつ決定論的な定義に対するもの、である。

*5:「Imbedded in the definition of involuntary unemployment are some of Keynes other ideas that were part of his theory of involuntary unemployment, but logically distinct from the definition of involuntary unemployment.」

*6:もしくは、他の箇所の記述をテイラーが勝手に定義に入れ込んでしまったような気がする。