名目賃金の下方硬直性による失業は自発的失業か?

今回の非自発的失業の話に関連してネットを渉猟していたら、今月初めにロバート・ワルドマンスコット・サムナーが、やはり非自発的失業を巡ってやりあっていたことに気付いた*1


まず、ワルドマンが非自発的失業を説明するに当たり、一般理論の第二章第二節冒頭の以下の記述を引用した*2 *3

現行の賃金のもとで人びとが欲しいだけの仕事を見つけることなど殆ど不可能なのが現実なのに、「摩擦的失業」と「自発的失業」の二つの分類に全ての失業が含まれるなどということが真実だろうか。というのは、需要さえあれば、普通は当然現行の名目賃金のもとでももっと沢山の仕事があるはずだからである。古典派はこの現象を第二の公理と合わせるために、現行の名目賃金で働く意欲のある労働者が全員雇われる前にその賃金での仕事の需要が満たされてしまうことがあるとしても、労働者たちはそれ以下の賃金では働かないという公然あるいは暗黙の了解があるためにこのような状況が生まれるのであり、労働者がこぞって名目賃金の引き下げに同意すれば、もっと多くの雇用が生まれるはずだと言うのである。もしそうだとするなら、そのような失業は「非自発的」だと見えるとしても、厳密にはそうではないことになり、団体交渉などの結果である「自発的失業」という上記の分類に含めるべきものとなる。

ワルドマンはこの最後の文章をケインズ自身の自発的失業に対する見方であるとし、以下のように書いている。

So to Keynes unemployment due to nominal wage rigidity and unemployment due to collective bargaining were 'voluntary' unemployment. ・・・
This means that self declared "New Keynesians" would be called "classicals" by Keynes.
(拙訳)
というわけで、ケインズにとっては、名目賃金の硬直性による失業や、集団的交渉の結果生じる失業は、「自発的」失業ということになるわけだ。・・・
ということは、自称「ニューケインジアン」は、ケインズに言わせれば「古典派」ということになる。

ここでワルドマンが念頭に置いているニューケインジアン理論は、インサイダー・アウトサイダー理論である。


これに対しサムナーは、(昨日小生も引用した)ケインズの以下の文章(第二章第四節末尾)を引用して応じている。

しかしながら、もし古典派理論が完全雇用状態にしか適用できないものなら、仮に「非自発的失業」が存在するとして(誰がそれを否定するだろうか)、この失業問題にこの理論を適用するのは明らかに間違っている。古典派の学者は非ユークリッド世界のなかのユークリッド幾何学者に似ている。彼らは見かけ上は平行な2直線が実際には交わることを見出しても、線と線の不幸な交差を正すには線をまっすぐにすれば解決するのにそうしないのが悪いと言って非難する。しかし実際には、平行線の公理を捨てて非ユークリッド幾何学を構築するしか解決方法はないのである。同様のことが現在の経済学にも求められ[て]いるのだ。我々は古典派経済学の第ニの公理を捨てて、「非自発的失業」が厳密な意味で可能となるような経済行動の体系を構築する必要があるのである。

そして、ここでケインズ非自発的失業が恰も世の中に当然存在するものの如く書いているが、それは名目賃金の下方硬直性による失業を自発的失業に分類した先の記述と矛盾している、とケインズを批判している。



しかし、ワルドマンが引用した一般理論の文章は、本当にケインズの自発的失業に対する考えを示したものなのだろうか? 小生にはその解釈がそもそも違うように思われる。そう思う論拠は以下の2点である。

  • ワルドマンの引用部分とサムナーの引用部分の間には、両者が引用していない重要な記述がある*4。それは即ち、ケインズによる非自発的失業の定義である。その定義からは、名目賃金の硬直性による失業は非自発的失業にはならない(=自発的失業になる)、という結果は導き出せない。


上記の第2点をもう少し詳しく説明してみる。


ケインズによる非自発的失業の定義は、以下の通りである(第二章第四節冒頭)。

我々はいまや失業の三つ目の分類、古典派の理論がそんなものはあり得ないと言っている「非自発的失業」の厳密な定義をしなければならない。
・・・
私の定義は次のようになる。名目賃金に比べた賃金財価格の少しの上昇で、現行名目賃金で働く意思のある労働者の総供給とその賃金での労働者の総需要の双方がともに現行の雇用(=労働)量より大[き]くなっているのに失業している人を「非自発的失業者」というのである。

tomokazutomokaz氏は、この定義の訳注で、

実質賃金が下がって求職も求人も増えているはずなのに現実は失業している状態を「非自発的失業」という

という極めて分かりやすい解説を付けている。


この定義をグラフで表すと以下のようになる*5

ここで縦軸は名目賃金一定とした場合の実質賃金、横軸は労働力である。名目賃金に比べて賃金財価格が上昇すれば(=実質賃金が低下すれば)労働需要は上昇するので、労働需要曲線は右下がりとなる。一方、労働供給曲線は右上がりになる、と言いたいところであるが、第二節でケインズ

名目賃金が変わらない状況で物価上昇によって実質賃金の低下が起こっても、現行賃金のもとで提供される労働力の供給は、物価上昇以前の実際の雇用量より減少することは普通はない。

と述べているので、ここでは垂直線とした。
実際の雇用は、労働需要と労働供給の少ない方で決まる。今、A点において賃金財価格が少し上昇すると、「現行名目賃金で働く意思のある労働者の総供給」はN3で変わらないが、「その賃金での労働者の総需要」はN2となる。これらはいずれも「現行の雇用(=労働)量」N1より大きいので、A点での失業者は非自発的失業ということになる。
一方、(需要曲線と供給曲線の交点である)C点において賃金財価格が少し上昇すると、「現行名目賃金で働く意思のある労働者の総供給」はやはりN3で変わらないが、それは「現行の雇用(=労働)量」N3と同じである。従って、「その賃金での労働者の総需要」がN3からN4に増えたとしても、「双方がともに現行の雇用(=労働)量より大きくなっている」という条件を満たさない。従って、C点における失業者は非自発的失業ではない。


注意すべきは、この定義では、そもそも実質賃金が労働の需給を一致させる水準から乖離した原因は問われていない、ということである。仮に名目賃金の下方硬直性によって実質賃金が高止まりしていたのだとしても、この定義に依拠する限り、それはあくまでも非自発的失業なのだ、ということになる*6



以上の考察を基に、ワルドマンとサムナーのエントリに、ワルドマンはケインズを読み違えているのではないか、というコメントをそれぞれ書いてみたが、ワルドマンからは特に反応は無く、サムナーは、いや、ケインズは確かに硬直的賃金による失業は自発的なものだと言っている、という反応を貰った。南無。

*1:昨日のエントリで引用したケインズユークリッド幾何学云々の文言も、実はそこ経由。

*2:以下では昨日と同様、tomokazutomokaz氏の訳を利用させて頂いた。

*3:このワルドマンのAngry Bearエントリに至るワルドマンとサムナーの確執の前史があるのだが、それについてはサムナーがクルーグマンをdisったエントリそのサムナーのエントリを取り上げたデロングのエントリ(コメント欄でワルドマンがサムナーをdisっている)ワルドマンがさらにサムナーを批判した個人ブログエントリを参照。

*4:ただしRoweがサムナーのブログエントリへのコメントで言及している。

*5:ここでは塩野谷祐一氏の訳本の訳注も参考にした。

*6:付け加えるならば、自発的/非自発的以前に、そもそもケインズ名目賃金の下方硬直性と失業との関連に否定的である。失業との関連で重要なのは実質賃金であるが、それは物価水準という労働者の手の届かないところで決まってしまう、というのがケインズの第二章での主たる主張だからである。第二節で彼は「不況の特徴である失業の原因は労働者が名目賃金の引き下げを受け入れないことにあるとする主張はそれほど明確な事実の裏付けをもっているとは言えない」と述べている。また、第三節で彼は、各労働者や労働団体による名目賃金の引き下げ反対は、あくまでも労働者間の分配や個々の労働者グループの相対的な実質賃金に影響するものであり、全体的な実質賃金の水準は別のところで決まる、としている。いや、これは必ずしもそうではないのではないか、というのがニューケインジアンの主張であるが、だからと言ってニューケインジアンの考える失業が直ちに自発的失業となるとは言えないであろう。