貨幣への超過需要か、節約のパラドックスか?

表題の論争が米加ブロゴスフィアで巻き起こっている。


きっかけは、デビッド・ベックワースが、節約のパラドックスとは貨幣への超過需要の表れに過ぎない、と書いたことにある*1。これにデロングが以下のように噛み付いた

  • 交換媒体としての貨幣への超過需要ならば、他の資産の利回りはむしろ上がっているはず(∵超過需要を生み出している貨幣の魅力に対し、他の資産は高い利回りで対抗するしかない)。然るに、国債などの安全資産の利回りはむしろ下がっている。
  • 交換媒体としての貨幣の超過需要に対応して貨幣の供給を増やせばよい、とベックワースは言うが、FRBはどのように貨幣供給を増やせば良いというのか? 通常の公開市場操作を手段として用いるならば、国債を買い入れて貨幣を供給する、ということになる。しかし、ゼロ金利下では国債と貨幣はほぼ等価物になっているので、このオペレーションは意味が無い。民間が従来国債の形で貯蓄していたのが、貨幣の形での貯蓄に化けるだけである。
  • となれば、公開市場操作という通常の経路とは別の経路で貨幣供給を増やすしかない。それには以下のような方法が考えられる:
    • 紙幣を刷ってそれを政府が支出する(=シニョリッジ)。
    • ヘリコプター・マネー。
    • 政府が民間から借り入れて支出する。
    • 政府が民間債券を保証する。
    • 安全な短期国債ではなく、危険資産を公開市場操作で買い入れる。
  • 上記の各手段は、民間における安全資産を増加させる。逆に言えば、そうでなくては意味が無い。だが、こうした方法はもはや金融政策とは呼べないだろう。

クルーグマンもこのデロングの見解を支持し、ベックワースの考え方を、ニューケインジアンモデルとISLMモデルの組み合わせで十分なのに、それをプロクルステスの寝台よろしくマネタリストの枠組みに押し込もうとしたもの、と評している


それに対し、ベックワースに代わって反論したのがNick Roweで、デロングのエントリのコメント欄および自ブログで以下のようなことを書いている*2

  • 国債にしろ、あるいは例えばアンティーク家具にしろ、貯蓄がそれに向けられたというだけでは節約のパラドックスは起きない。それが起きるのは、あくまでも貨幣への超過需要が背後にあるからである。
  • 貨幣以外のものは、超過需要が存在していたとしても、以下のいずれかによって、その超過需要はいずれ収まる。
    • 需要によって価格が上昇し、超過需要が収まる。
    • 数量の制限によって物理的に買えなくなり、超過需要が収まる。
  • 貨幣については、他のものと異なり、より多く手にする方法が二つ存在する。即ち、他のものを売却して手に入れる方法と、他のものを買い控えて手に入れる方法の二つである。前者は常にうまく行くとは限らないが(皆が同じことをやろうとした場合は機能しなくなる)、後者は個人レベルでは常に実行可能である。各人が後者を実行すれば、モノへの需要不足が起き、経済は不況に陥る。
  • 確かに安全資産への需要も昂進するが、それは不況の原因であるのと同程度、不況の結果でもある。企業の売り上げが減少し、デフレ懸念が高まれば、以前は安全資産だったものが安全資産では無くなるか、もしくは実質収益率が上昇する。
  • デロングは財政政策および安全資産の供給増加を主張している。しかし、将来の税負担や財政支出削減といったコストを考えると、やはり金融政策の方が良いのではないか。金融政策のコストは遥かに低い(ひょっとするとコストはマイナスにさえなるかもしれない)。
  • サムナーのまとめにあるように、一時的な貨幣供給の増加には効果が無い、という点では全員の意見が一致している。然らば、恒久的な貨幣供給の増加をなすべきであろう。それならば、クルーグマンのモデルにおいても流動性の罠を脱却できる。では、どのようにして恒久的な貨幣供給の増加を約束すべきか? 物価水準目標を用いるべきである。ただ、FRBは(カナダ銀行のように)明示的なインフレ目標を20年に亘って追求して信頼を勝ち得てきたわけではないので、単に物価水準目標を宣言するだけでは不十分であろう。人々を納得させるためには、例えばS&Pインデックスファンドを購入するといった方策が必要になろう。


このベックワース=サムナー=Rowe vs クルーグマン=デロングという論争の構図は、以前紹介した名目論争の時と同様である(ただしその時はデロングは参加していなかったが)。その時も、金融政策で十分、という前者の議論に対し、クルーグマンが疑念を呈した、というものだったので、内容的にも今回と共通していると言える。

*1:このベックワースのブログエントリは、マーティン・ウルフの記事を話のとば口に用いているが、そのウルフの記事の邦訳はここで読める。また、その邦訳の前文によると「関連エントリも別の人が続々紹介予定」とのことなので、上記で概略だけをさらったエントリの全訳もいずれ読めるようになるものと思われる^^。

*2:デロングのエントリのコメント欄にはベックワースも姿を見せているが、反論はせずにデロングに無条件降伏している。また、ジョセフ・ギャニオン(Joe Gagnon;本ブログでは以前ギャグノンと訳していたが、ギャニオンの方が正しいようなので、以降そちらで統一する)もコメントしている