昨日のエントリに対しRognlieの真意を問うコメントを頂き、彼とRoweなどの準マネタリストとの争点(特に準マネタリスト側の主張)をいまひとつクリアに記述していなかったことに気付いた。
彼らの意見の相違を乱暴にまとめてしまうと
といった感じになろうか。
なお、両者とも、人々の将来予想が重要だという点では意見が一致している。ただしその場合でも、やはり金利に重点を置くRognlieと、金利を左程重視しない準マネタリスト側とで若干の意見の齟齬が見られる。
その点が一層明確になったのが、昨日紹介したエントリの次エントリにおけるRognlieとデビッド・ベックワースとのやり取りである*1。
そこでは貨幣の三つの機能、即ち
- 価値の尺度
- 価値の貯蔵
- 交換の媒体
について議論が交わされ、前二者の機能を重視するRognlieと、最後の機能を重視する準マネタリストとの差が浮き彫りになっている*2。
まず、一番目の価値の尺度について、Rognlieは以下のように書いている。
The Fed is a monopolist in the market for base money: no other institution is allowed to print paper currency that’s legal tender, or create electronic reserves that satisfy reserve requirements. Although base money is a relatively small market (about $1 trillion pre-QE), it has a dramatic effect on the rest of the economy because prices are quoted in money, in much the same way that Snickers bars would become pivotal if prices were quoted and transactions conducted in units of candy. By wielding its monopoly power in this market, the Fed can change a key rate (the federal funds rate) that determines the cost of credit across the economy.
(拙訳)
FRBはベースマネーの市場では独占者だ。法定通貨である紙幣を印刷したり、所要準備額を満たすために電子的に準備預金を創造することが許された機関は他に存在しない。ベースマネーの市場は比較的小さいが(量的緩和政策実施前で約1兆ドル)、価格は貨幣を単位として表示されるため、経済全体に多大な影響力を持つ。もし価格がキャンディバー単位で表示され、取引もその単位で実施されていたならば、スニッカーズのチョコレートバーが中心的な役割を果たすことになっていただろう。FRBは、その市場での独占者としての力を振るうことにより、経済全体における信用の対価の決定要因となる重要な利率(FFレート)を変更することができる。
しかし、ゼロ金利に達すると状況は変わる、とRognlieは言う。
At the zero lower bound, however, base money is no different from all other short-term, riskless assets. And that’s a much larger market, one that’s no longer dominated by the Fed…When it’s purchasing assets at the zero lower bound, the Fed is participating in a market that’s fundamentally different from the market in which it usually intervenes—a market that’s far bigger, in which the Fed is no longer a monopoly player.
(拙訳)
しかしゼロ金利下限においては、ベースマネーは他の短期の無リスク資産すべてと何ら変わるところが無くなる。そしてその短期の無リスク資産の市場ははるかに巨大であり、そこではFRBはもはや優位に立つことができない。・・・ゼロ金利下限において資産を購入する時、FRBは通常介入する市場とは根本的に違う市場――もっと大きく、FRBが独占者として振舞うことのできない市場――に参入していることになる。
これに対しベックワースは、上の貨幣の三つの機能の後二者を対比させて以下のようにコメントしている。
You focus on the safe asset, store of value role of base money. I look at it from a medium of exchange perspective. Here, the size of the market the Fed faces doesn’t fundamentally change at the 0% bound. Both above and below 0%, other entities beside the Fed create money assets (e.g. checking account, money market accounts, repos) that can serve as a medium of exchange. This doesn’t change. The Fed’s role in both cases is to use its control of the monetary base to properly shape expectations so that there is sufficient money assets created to meet money demand.
What does change at the 0% bound is the demand for the medium of exchange. It is highly elevated and will not be satiated by the Fed simply buying up t-bills. Since the money demand is a function of an entire spectrum of interest rates and is not being satiated with the Fed purchasing short-term securities, the Fed has to move on to the other assets affecting money demand. QE2 was a step in that direction, but was not very effective because it never committed, either explicitly or implicitly through a level target, to buying up enough assets to satiate money demand. Ultimately, the Fed failed to sufficiently signal a determination and resolve to satiate money demand. It could do that through a price level or nominal GDP level target.
(拙訳)
貴君は安全資産、価値の貯蔵手段としてのベースマネーの役割に焦点を当てている。私は交換の媒体としての観点からベースマネーを見ている。その場合、FRBが直面する市場規模はゼロ金利下限でも根本的に変化することは無い。ゼロ金利下限にあろうが無かろうが、FRB以外の機関も交換媒体として機能する金融資産(例えば当座預金口座、マネーマーケットアカウント、レポ)を創造する。このことには変わりは無い。いずれの場合においても、マネタリーベースをコントロールして適切な期待を形成し、貨幣需要を満たすのに十分な金融資産が創造されるようにするのがFRBの役目だ。
ゼロ金利下限で変わるのは、交換媒体への需要だ。それは著しく膨張し、FRBが短期国債を買い上げるだけでは満たすことができなくなる。貨幣需要はあらゆる金利の関数である半面、FRBの短期証券の購入だけでは満たすことができないので、FRBは貨幣需要に影響する他の資産に手をつけざるを得なくなる。QE2はその方向への第一歩であったが、貨幣需要を満たすのに十分な資産を買い上げるという明示的もしくは暗黙的な水準目標を通じたコミットメントをFRBが行わなかったために、あまり効果的では無かった。つまるところFRBは、貨幣需要を満たすという自らの意思と決意を十分に表現することに失敗したのだ。FRBは、価格水準目標や名目GDP目標を通じてそうした決意を表現できる。
これに対しRognlieは、
- 信頼すべき目標政策が存在する場合にはゼロ金利下限においても何らかの政策効果が得られるという点に関しては双方が合意していると思われるが、ベックワースは
- 大規模な資産購入による効果を(Rognlieに比べ)高く見積もっているようだ
- 名目GDP目標政策が存在しない場合にもそうした資産購入の効果は(減じるとは言え)存在すると考えているようだ
という感想を漏らしている。
*1:[8/22追記]そのエントリでリンクしているように、ここでの議論は3ヶ月前のベックワースのエントリ(邦訳)での議論を受けている(その3ヶ月前の議論の関連エントリはすべて道草で翻訳されている[きっかけとなったタイラー・コーエンのエントリ、コーエンへのRognlieの反論、ベックワースのエントリでの議論を受けたJosh Hendricksonのエントリ])。そこでは量的緩和にポートフォリオ・バランス効果が存在することでは双方の合意を見たものの、ゼロ金利においてそれがどの程度効果があるか、という点では意見の違いが残った。今回のエントリはその点に関しRognlie側の議論を深めたもの、と言える。
*2:[追記]後述のベックワースのコメントを受けてRognlieは「前二者の機能を重視」と書いたが、良く考えてみるとこのエントリでRognlieが強調しているのは一番目の価値の尺度の機能だけであり、価値の貯蔵については触れていない。価値の貯蔵と交換の媒体のどちらの機能を重視するかという話は、むしろ準マネタリストとデロングとの間の争点である(cf. このエントリ)。