去る8月16日に、米国の財務省がブロガーの一団を招いて会談を持った。財務省側はガイトナー長官も出席したとの由。
その模様を各ブロガーが報告しているが、中でもスティーブ・ワルドマンが最も詳細に報告している。以下はその8/22エントリからの引用。
I was impressed that Treasury officials had a pretty good understanding of the impediments to growth going forward. They understood that the core problem preventing business expansion isn’t access to capital but absence of demand. But I got the sense that, as they see things, they are boxed-in on that front, paralyzed and hoping for the best. When someone asked about monetary policy, an official said he really couldn’t comment on behalf of the Fed, but then proceeded to comment anyway, that in a very sharp downtown the Fed would have (presumably unconventional) ways to intervene, but that we were probably near the limits of what the central bank would do on the economy’s current path. Regarding their own bailiwick, an official perceptively pointed out that the set of spending programs Congress seems capable of delivering and the set of programs the public would consider wise and legitimate seem not to intersect. All of this resonated well with me: I view the current macro-sluggishness as a function of insufficient demand, yet stand with the hypothetical public in being hesitant to support “stimulus” and “jobs” programs that strike me as haphazardly targeted and sometimes wasteful or corrupt.
(拙訳)
私は財務省職員が経済成長の阻害要因を極めて良く理解していることに感心した。彼らは景気の伸展を阻んでいる真の問題が資本へのアクセスではなく、需要の不在であることを理解していた。しかし彼らは、自分たちがその点について動きが封じられており、手を拱いて事態がうまく推移することを願うしかない状況に置かれている、と見ているように私には思われた。誰かが金融政策について尋ねた時、ある職員は、FRBの政策については本当はコメントできないと前置きしつつ、それでも次のようにコメントした:急激な景気の悪化に対してFRBは(おそらく非伝統的な)介入手段を有しているが、現在の景気の推移について言えば、おそらく中央銀行のできることの限界に近いところまでやっている、と。財務省自身の管轄について言えば、ある職員は、議会が容認できると思われる財政支出策と、国民が賢明で合理的だと思うような支出計画とは重なるところが無い、という鋭い指摘をした。この指摘には私には非常に共感した。私は現在のマクロ経済の低迷は需要の不足によるものだと考えているが、半面、理念的な国民は、的外れで無駄ないし不正を伴うこともあるような「刺激」策や「雇用」政策を支持することを躊躇う、という見方にも同意する。
この中のFRBについてのコメントは、Marginal Revolutionのアレックス・タバロックは次のように報告している。
There was a recognition that the Fed could do “dramatic” things but a sense that the theory here was uncertain and untested.
(拙訳)
FRBが「劇的な」ことができるという認識はあったが、同時にそれに関する理論は不確かで、検証されていない、という感触もあるようだった。
このタバロックの記述に対し、Economists for Firing Larry Summersは、(自分は会合に招かれなかった、というアメリカンジョークを交えつつ)25ベーシスポイントを0にしたり超過準備への付利をやめたり4000億ドルの追加的な量的緩和をすることに「劇的」も「検証されていない」も「不確か」もへったくれも無いだろう、一方で金融危機後にインフレ目標を維持することに関しての不作為の結果は過去17年間の日本で繰り返し検証済みではないか、と噛み付いている。
ワルドマンと対照的に、会合に対して最も醒めた見方をしているのがNaked Capitalismのイブ・スミスで、ワルドマンの報告を紹介したエントリでは、「非常に優れた丁寧なまとめ(extremely good and gracious summary)」と評価しつつも、「ワルドマンが会合を楽しんだことに少し驚いた(I’m a bit astonished to find that Waldman found the session enjoyable)」とも書いている。実際、この少し前のスミス自身の報告では、のっけから以下のようなことを書いている。
Readers may wonder why I haven’t written about my visit on Monday to the Treasury, but truth be told, I headed out afterward with Mike Konczal and Steve Waldman to get a drink, and we all looked at each other quizzically. I said something along the lines of “I’m not certain there is anything to write about,” and they nodded in agreement. I had less than a half page of notes.
(拙訳)
なぜ私が月曜日の財務省訪問についてこれまで書かなかったのか不思議に思う読者もいるだろうが(訳注:このエントリの日付は訪問3日後の8/19)、本当のことを言えば、会合の後にマイク・コンツァルとスティーブ・ワルドマンと一杯飲んだのだが、そこで私たちはお互いを当惑した顔で見合わせたものだ。私が「特に書くべきことが無かったような気もするけど」というようなことを言うと、彼らは同意したように頷いていた。私の取ったメモは半ページにも満たなかった。
こうした経緯があったので、ワルドマンが長文の詳細な報告を書いたことにスミスは驚いたのだろう。ただ、上記で言及されているもう一人のブロガーのコンツァルも、8/20に修学旅行のような写真付きのエントリを書いているので、こちらも会合を楽しんだように見える。
なお、いずれのブロガーもガイトナーに非常に好印象を持ったことが個人的には興味深かった。
●ワルドマン
Obviously the headline act was Timothy Geithner. Off the record (or “on deep background”), Geithner is entirely different from the sometimes stiff character who appears on television. He is fun to argue with, very smart, good natured, and intellectually wily. As Yves Smith quipped afterwards, Geithner “gives good meeting.”
(拙訳)
主役は明らかにティモシー・ガイトナーだった。オフレコで言うと(「ここだけの話」)、ガイトナーはテレビに映る堅苦しくも見えるキャラクターとは全然違っていた。彼と議論するのは楽しかったし、賢くて善良で機知に富んだ人物だった。イブ・スミスが後で評したように、ガイトナーは「会合を良いものとする手腕に長けていた」。
●タバロック
As Tyler said after an earlier visit, Geithner is smart and deep. Geithner took questions on any topic. Bear in mind that taking questions from people like Mike Konczal, Tyler, or Interfluidity is not like taking questions from the press. Geithner quickly identified the heart of every question and responded in a way that showed a command of both theory and fact. We went way over scheduled time. He seemed to be having fun.
(拙訳)
タイラーが以前の会合の後で書いたように、ガイトナーは賢くて洞察力のある人物だ。ガイトナーはどんな質問でも受け付けた。ここで注意すべきは、マイク・コンツァルやタイラーやInterfluidity(=スティーブ・ワルドマン)のような人々から質問を受けるということは、マスコミからの質問を受けるのとは全然違う、ということだ。ガイトナーはすべての質問の核心を素早く理解し、理論と事実を巧みに使いこなしながら回答していた。我々の会合は予定を大幅に超過した。彼は楽しんでいるようだった。
●スミス
One bit I am still puzzled about is the amount of time Geithner spent with us. He is famed for keeping a tight schedule, and he showed up at 4:30 PM and stayed 50 minutes, which was 20 minutes beyond the official meeting close. Although the Treasury staffers who had run the session before arrived Geithner were articulate and knowledgeable, he is particularly adept in this smallish meeting format and seemed to noodle our questions enough so that his responses were typically more direct yet managed to incorporate a lot of thoughtful nuance (not that he didn’t avoid certain issues, mind you; he argued that Treasury had limited authority on a certain issue; I pointed out ways in which Treasury more than enough leverage to bring a bank to heel; he avoided acknowledging the matter I raised; more on that in due course). He did make some minor disclosures (like saying he wasn’t supposed to talk about Fed policy, then doing just that, hinting that the catfood commission might recommend changes in taxes, which in context might mean more consumption taxes, as in a VAT).
(拙訳)
私が未だに不思議に思っているのは、ガイトナーが我々に割いた時間のことだ。彼はスケジュールがきついことで知られているが、4時半に現われて、本来の終了時刻を20分超過して50分も居た。ガイトナーが現われる前に会合を切り盛りしていた職員も博識で発言が明確だったが、とりわけガイトナーはこうした小会議形式の運営に長けているようだった。彼は我々の質問を巧みに捌き、その回答は、概ね直接的でありながら、考えるべきニュアンスの余地が多くあるようなものだった(念のため言っておくと、彼がある種の問題を避けた、というわけでは無い。彼は、ある種の問題に対する財務省の権限は限られている、と主張した。私は財務省が銀行を十二分なまでに服従させる幾つかの方法を指摘したが、彼は私が提起した問題を認めることを避けた。その話はまたいずれ)。彼はまた、ちょっとした情報公開も行った(FRBの政策について話すことができないと言いつつそれについて話したり、財政赤字削減委員会*1が税制の変更――文脈から言うと付加価値税のような消費税を意味するように思われる――を提言するだろうと仄めかしたりした)。
●コンツァル
It was a pretty casual meet and greet. There weren’t any presentations, nothing to be sold on. We went to questions immediately. Geithner is very smart and personable, and it was very useful to chat with Treasury officials on background over the strengths and weaknesses of the financial reform bill.
(拙訳)
堅苦しい挨拶の無いカジュアルな会合だった。プレゼンテーションといったものもまったく無く、何かを押し付けられることも無かった。我々はすぐに質問に入った。ガイトナーはとても賢くて親しみやすく、財務省職員と発言ソースを明かさないという条件付きで金融改革法案の長短所について話すことは非常に有意義だった。
上記でタバロックが「以前の会合」として昨年11月の会合のタイラー・コーエンの報告にリンクしているように、財務省がブロガーとこうした会合を持ったのは今回が初めてではないようだ。やはり8/16の会合に出席したSeeking AlphaのJohn Lounsburyによると、「The Treasury Department has established a program inviting various financial bloggers to have open discussion meetings with senior Treasury officials 4-6 times a year」との由。
ちなみに、2日後の8/18には、今度は職業ブロガーを対象に同様の会合が開かれたようだ。そちらに出席したフェリックス・サーモンは、16日の会合に出てワルドマンとガイトナーのやり取りを聞きたかった、と書いている。
非職業ブロガーとの会合が財務省に取って持つ意味については、スミスが以下のように皮肉っぽくまとめている。
Despite our heterogeniety, we all took a skeptical posture towards the Treasury team. One has to think they anticipate that, which then begs the question of what they expect to accomplish with these meetings. We aren’t journalists, so the access card does not work; the infrequency and format of these sessions means they don’t build personal rapport (and there are good reasons why not; from our end, it costs time and money to go to DC; from their end, we aren’t important enough to warrant more frequent contact).
So they may have other motivations, but a safe assumption is that they regard this as marketing, and a famous cliche is “50% of what I spend on advertising is wasted, I just don’t know which 50%.” We probably look like part of the wasted 50%, but they can’t be certain, and the costs to them of having this sort of meeting are low, so they might as well keep the experiment going.
(拙訳)
我々の出自はばらばらだったが、財務省チームに対し懐疑的な姿勢を取る点では共通していた。彼らもそれを予期していたと思われるが、そうすると彼らはこうした会合で何を狙っていたのか、という疑問が浮かぶ。我々はジャーナリストでは無いので、何らかの特別なアクセス権が餌になるわけではない。こうした会合がそれほど頻繁に開かれるわけではないこと、および、その形式を考えると、個人的に親密な関係を構築することにもつながらない(そうならない合理的な理由もある。我々にしてみれば、ワシントンDCに行くのは時間も金も掛かる。彼らにしてみれば、もっと頻繁に接触したいと思うほど我々は重要では無い)。
ということで、あるいは別の動機があるのかもしれないが、これは彼らにとってはマーケティングだ、と考えた方が良さそうだ。有名な決まり文句に、「広告費の50%は無駄だが、どの50%かは分からない」というのがある。我々はおそらく無駄な50%と思われているのだろうが、彼らも確信はできないし、この種の会合に掛かる費用も知れているので、取りあえず実験を続けよう、ということなのかもしれない。
またスミスは、エントリの最後で、会合がブロガー側にもたらす影響についても論じている。
Finally, one reader did tell me Alex Tabarrok got some comments criticizing him for falling into Treasury’s orbit by meeting with them. While in theory one could lose one’s edge by staring the opposition in the eye, sports teams do this as a matter of course. If we saw the staff of the Treasury more often and we had something to gain, that could be a concern, but these sessions take a lot of time, and I question what the upside for bloggers is. The immediate one is getting one’s nose inside a new tent, but that is a matter of novelty and wears off after the first encounter. I suspect the main effect is that we and Treasury each sharpen our games a teeny bit by engaging directly on points of contention.
(拙訳)
最後に。アレックス・タバロックが、会合によって財務省の掌中に落ちた、という批判コメントを幾つか受けたことをある読者に教えてもらった。理論的には顔を合わせることによって批判の矛先が鈍るということがあるだろうが、一方でスポーツの試合では顔を合わせるのが当然である。もし我々が財務省職員ともっと頻繁に会って何か利益を得るならば懸念も尤もだが、こうした会合は時間を非常に食うものであり、ブロガーのとっての利益もはっきりしない。新しいテントの内側を覗いてみた、というのが直接的な利益になろうが、それは物珍しさの話であり、最初の会合の後は薄れていくものだ。主たる効果は、議論の的となる点について直接に意見を交換することにより、我々と財務省のそれぞれの議論が少しばかり研ぎ澄まされる、ということではないか。