ノアの洪水の最中に「火事だ!」と叫ぶことこそ最適戦略?

Nick Roweが面白いことを書いていたので、以下に拙訳で紹介する。

私が米国のブロガーだとしよう。私のブログは非常に人気があり、読者は私が言うことをすべて信じるものとしよう。一方で、実際に政策に影響を与えコントロールする人々は、私が完全にいかれていると思っているものとしよう。
そういう立場に置かれた場合に自分がどうするかは自分でも良く分からないが、どういう衝動に駆られるかは分かっている――「インフレがやってくる! ゼロ金利という金融政策は緩和的に過ぎるが、FRBの馬鹿者どもは手遅れになるまでそれが分からんのだ!」と叫ぶことだ。つまり、ノアの洪水の最中に「火事だ!火事だ!」と叫びたい衝動に駆られることだろう。
そして、私の予言は自己実現的なものとなるだろう。
人々がインフレと経済の実質成長を予想する世界では低過ぎる低水準の名目金利が、人々がデフレと経済の実質的な低下を予想する世界では高過ぎるものとなる。これは別に目新しい洞察ではないし、特に議論の的となるような話でもない。しかし、とりわけスコット・サムナーと私は、この話を繰り返し説くべきだと考えている。
私がノアの洪水の最中に「火事だ!」と叫ぶことは、最善の金融緩和策となるだろう。それはインフレと景気回復についての人々の予想を変化させることによって、金融緩和策を実施する。名目金利の今後の推移を変更するわけではない。所与の金利の推移のもとで、そうした予想変化をもたらすのだ。(私の脅し戦略が所期の効果を発揮し、総需要を増加させ、景気回復とインフレをもらたすならば、私が「火事だ!」と叫ぶことは、むしろFRB金利引き上げを早めるだろう。)
このちょっとした思考実験から、3つの含意を引き出すことができる。

  1. 万が一の可能性だが、ひょっとしたら、現在インフレの恐怖を振りまいている者の中には、私の上記の衝動を、まさに同じ理由に基づいて実行に移している人がいるのかもしれない。
     
  2. 私はまた、ポール・クルーグマンとブラッド・デロングがインフレの恐怖を振りまいている人たちを批判しているのを見ると、「しーっ!」と耳打ちしたい衝動に駆られる。彼奴らに人々の予想を変えさせれば良いのだ。彼奴らに金融緩和策を実施させよう! 我々が欲しているのはまさにそれではないか? 実際に金利を設定する人たちが彼奴らに耳を貸すようなことにならないことだけを注意して、黒衣に徹するべきではないですかな、お二方!
     
  3. 金融政策を名目金利の時系列推移で捉えるのは、金融政策を捉えるやり方としては非常に愚かな方法だ。というのは、そうした捉え方は、自分の信ずることを表明できない、というパラドックスを生むからだ。記憶が正しければ、かつてマキャベリは、新任の王子に、まずマキャベリの考えを否定する本を書くように勧めたという。これは金融秩序を保つべき方法ではないし、民主主義体制下ではなおさらそうだ。金融政策が社会においてどういう枠組みのものとして捉えられるかという点に関するあらゆる選択肢から、我々は愚かなものを選んでしまった。我々は、現代の中央銀行名目金利の時系列推移を定めることによって金融政策を実施する、という認識を選んでしまったのだ。その結果、誰もがそうした認識に基づいて金融政策を理解している。それが今のパラドックスを生んでいるのだ。どちらがより愚かだろうか? ノアの洪水の最中に「火事だ!」と叫んでいる馬鹿者だろうか? それとも、そうした振る舞いを正統な行為とせしめるような形で金融政策を捉えるほど愚かな我々だろうか?