少々のインフレか、然らずんば少々の社会主義か

スコット・サムナーが表題のエントリを書いている(原題は「A little more inflation or a little more socialism?」)。以下はその拙訳。

1930年代、右派は、適度なインフレ(物価を大恐慌以前の水準に戻す)と、より社会主義的な社会の間で選択を迫られていた。彼らは大きな政府が好きではなかったが、インフレ政策には最大限の抵抗を示した。結果として、1929年から1933年の間にデフレ政策が取られた。もちろん有権者は25%の失業率を受け入れず、結局、インフレの代わりに大きな政府が我々のもとに残された。
このビデオが示すように、今日の我々は基本的に同じ選択に直面している。我々は金融政策で景気を上向かせることができるが、一方で、ファニーとフレディが何千億ドルも蕩尽するのを放置し、自動車産業を国有化し、失業給付を99週まで延長する、といったこともできる。それでも足りなければ、自由貿易政策を放棄するという話もある。その上、そうした不毛な景気刺激策の結果として積みあがる債務の費用負担のために将来我々が払うべき高い税金の問題もある。
1930年代と同様、右派は、少々の社会主義は少々のインフレよりましだ、と決断したように見える。ちなみに、ここで言う少々のインフレとはどの程度のものだろうか? 私に言わせれば、2008年9月以降のインフレのトレンドが、それ以前のインフレのトレンドと同程度になる程度のものだ。どうやら、その程度の小さなインフレでさえ、経済への政府の大規模な介入よりも忌むべきものらしい。
皮肉なのは、上述の政策、すなわちファニーとフレディに住宅市場を下支えさせること、失業保険の延長、貿易障壁といったことは、それ自身がややインフレ的な傾向を持つ、ということだ。しかもそれらの政策は、物価の上昇だけでなく、様々な歪みをもたらし、自由市場下での均衡価格から物価を乖離させる。(ということだよ、モーガン*1。)
さらに皮肉なのは、これは、自分で毒薬を選べ、という話ではないことだ。私が主張しているインフレは、過去20年間のインフレの継続に他ならない。たとえ住宅危機や不況が無かったとしても、我々にはその程度のインフレが必要だったろう。クリントン政権時代に保守派が2%のインフレは大惨事だと大声で喚いていた記憶はない。なぜ突然今になって2%のインフレにヒステリックに抗議するのだ? それは本当に社会主義よりも悪い選択なのか?
もっと皮肉なのは、保守派がこの点について勝利を収めるほど、長期的にはより高いインフレになる、ということだ。1930年代初頭には保守派が勝利を収めたが、それは彼らのイデオロギーを傷つけ、次の40年間により高いインフレをもたらす結果となった。

このサムナーの描く構図はやや単純化し過ぎかもしれないが、現在の日本にもそのまま当てはまる気がする。実際、日本の一部の保守系論者のいわゆるリフレ派への嫌悪感は、民主党政権へのそれを上回っているように見える。

*1:前日のエントリで、金融緩和政策が価格を均衡水準から乖離させるのではないか、という懸念を表明したコメンターのMorgan Warstlerへの呼び掛けと思われる。