というボヤキめいたブログポストをMark Thomaが書いていたので、以下に訳してみる(原題は「Is Market Fundamentalism the Easier Argument?」)。
おそらくこれは「隣の芝生は青く見える」という話になるのだろうが、今日私が出席したミルケン・グローバル・コンファレンスのこれまでのセッションで数多くの論者がそうしたように、市場原理主義者が自分の立場を論じる時、私は嫉妬を覚える。彼らの議論の立て方は実に容易だ。問題が何であれ、解答は――表現方法には非常に様々な創造的工夫が凝らされてはいるが――いつも同じである。政府は邪魔をするな、市場の魔法に任せよ。減税、政府支出削減、規制緩和は常に事態を改善し、悪化させることは無い。そして、たとえ市場に問題があったとしても、それは政府のせいにできる。市場原理者といえども市場の失敗が存在することは否定しようがないので認めているが、それでも、政府が介入すれば事態はさらに悪化する、と彼らは論じることができる(し、現にそうしている)。従って、問題が何であれ、単純な説明と単純な解決法が常に存在する、というわけだ。反面、政府の介入を支持する議論をする場合は、事はそれほど簡単ではない。まず対象となる市場の失敗を特定しなくてはならず、次いでそれが政府の介入を正当化できるほど重大であることを示し、それから副作用無しにその失敗のみ解決できる政策を提示し、その上で、その政策が政治プロセスによって無価値ないし逆効果に転じるほど台無しにされることは無い、と論じなくてはならない。
解決の可能性のある重大な問題が存在することが示されない限り市場には干渉すべきではない、というのが基本的な前提である、ということには私も異論は無い。しかし、政府介入を支持する立場からすると、配られた手札が不利なように思えてならない。